GW中の5/3に三重県名張市へ行ってきました!
名張市は隣の伊賀市と共にかつて伊賀国だったところ。そう、忍者で有名なところですね!
伊賀市の中心地である上野では忍者博物館があったりと忍者の地であることを盛大にアピールしており、対するこちら名張市にもかつて忍者がいたようです。
ただ、今回の旅は忍者要素は一切ありません!
そもそも名張市はあまり忍者関係に力を入れていないようで、市内には特に忍者に関する何かがあるわけではなさそうです。
とはいえ今回も魅力的なものがいっぱい感じられる旅となっています!
果たして名張とはどんなところなのでしょう!?
目次
三重県名張市へ!
まずは名張駅へ
近鉄電車の急行に乗って名張駅へと向かいます。
今回乗った電車は普通のやつとはちょっと違う豪華なものでした!
車内に入ってみるとこのような感じ!
新快速や京阪特急のような、前を向いて座れる椅子が並んでいます!
こうした椅子は専門用語で「転換クロスシート」と呼ぶそうで、近鉄ではとてもレアなんだとか!
この椅子だとゆったり景色を見ながら移動できるので旅人としてはありがたいですね!
大阪上本町駅から一時間ちょっとで名張駅に到着です!
地震の神様を祀る神社「名居神社」へ
名張駅からは名張川沿いに東へと歩いていきます。
この時はちょっと雲が多かったもののすぐに消えて快晴となりました!
歩いていくこと一時間弱で下比奈知(しもひなち)というところへ至ります。
ここに一つ目の目的地「名居(ない)神社」が鎮座!
ここは『延喜式』という1100年前の法典に載っている神社、つまりおなじみ式内社です!
鳥居をくぐってお参りしましょう!
手前側に建っている拝殿は比較的新しい建物です。
後ろに建っている本殿は朱をベースに鮮やかな絵や模様が施されています!
さて、名居神社の「ない(旧仮名遣いでは「なゐ」)」とは古い言葉で地震のことです!
『日本書紀』によれば、推古天皇の七年(599年)に地震が発生し各地に「地震神」を祀ったことが記されています。
一説にはこの「地震神」がこちらの神社であるともされています!
ただそうだとすれば、各地に祀られたという「地震神」の内、なぜ伊賀にのみ残ったのかという疑問は残ります。
ちなみに同じ旧・伊賀国である伊賀市阿保の「大村神社」には地震を押さえているという「要石」があります。
どういうわけかこのように伊賀では地震に関する信仰がいくつか見られます。
畿内の朝廷からすれば地震の源が伊賀にある、とみなされていたのかもしれませんね!
ちなみに現在の御祭神は「大己貴命(おおなむちのみこと)」「少彦名命(すくなひこなのみこと)」「天児屋根命(あめのこやねのみこと)」「市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)」「事代主命(ことしろぬしのみこと)」「蛭子命(ひるこのみこと)」の六柱。
全国的にもよく祀られる神様で、御祭神を見る限りでは特に地震に特化した神様ではありません。
名居神社の地図
大来皇女ゆかり?「夏見廃寺跡」へ
名居神社から名張駅方面へと戻ります。
その途中、夏見というところに名張中央公園があり、その敷地内に古代寺院跡である「夏見廃寺跡」があります!
夏見廃寺跡の全体の様子。この写真は北側の高台から見た様子で、正面は南側なのでお寺の裏側から見た様子ということになります。
左手前側に塔跡、右側に金堂跡、そして金堂の下側に講堂跡があり、お寺の建物の配置としては他に類例が無いような非常に変わった形です!
こちらは金堂跡。お寺の中心的な建物となります。
外側・内側ともに四間×三間となっているのが非常に珍しいところ。
そして発掘調査で塼仏(せんぶつ)、つまり粘土を焼いて作った板状の小さな仏像が大量に出てきたことも珍しい点です!
恐らくこれらの塼仏はタイル状に並べてあって曼荼羅(まんだら)のように壁に配置していたのではと推測されています!
金堂の下側には講堂跡があります。講堂とは僧侶が仏法の説教を行うところ。
縦に配置されていることに加え、中央にコの字形の盛り上がりがあるのも珍しく、須弥壇(しゅみだん)、つまりここに仏像を安置していたと推測されています。
実際、仏像の螺髪(らほつ)という髪の部分が発掘調査で出土しているそうです。
夏見廃寺のすぐ近くに「夏見廃寺展示館」という資料館があり、夏見廃寺について学ぶことができます!
夏見廃寺は『醍醐寺本薬師寺縁起』という平安時代の文書に登場する「昌福寺」というお寺ではないかと推定されています。
それによれば、天武天皇の皇女である大来皇女(おおくのひめみこ)が父を弔うために神亀二年(725年)に建立したとあります。
大来皇女の同母弟に大津皇子(おおつのみこ)がおり、不幸な死を遂げたことから、実際はこの皇子を弔うためのお寺だったのではとする説もあるようです。
発掘調査からも7世紀から8世紀にかけて建立されたとされており、10世紀末に焼失したと推定されています。
この夏見廃寺の想像図がタイルに描かれていました!
夏見廃寺展示館の地図
江戸時代の武家屋敷「名張藤堂家邸跡」へ
近鉄の線路を渡って西側、名張の市街地へ。
こちらには江戸時代の武家屋敷である「名張藤堂家邸跡」があります!
入館券はさっきの「夏見廃寺展示館」との共通券があるので是非とも一緒に見学しましょう!
名張藤堂家邸跡の建物の様子はこんな感じ!
残念ながら建物の内部は撮影禁止なので内部の様子をここで解説することはできませんが、外からもわかるように複雑な構成となっていました。
かつてはかなり広い屋敷だったものの、明治年間に大部分が取り壊され、現在残っているのはかつての1/20ほど、「中奥」「祝間」などの私的な空間のみとなっています。
とはいえこれでもかなり貴重なもので、上級武家屋敷自体が少ないことに加え、私的な空間が残っていることはとても珍しいのだそうです!
なお名張藤堂家とは戦国武将・藤堂高虎の養子「藤堂高吉」を祖とする一門です。
藤堂高虎は子に恵まれなかったために丹羽長秀の三男の高吉を養子にし、後継者にしようと考えていたものの、高虎に嫡男の高次が生まれると高次が後継者となりました。
高次とその子孫は本家として津藩の藩主や上野城代を代々務めたのに対し、高吉は藤堂家の分家として、紆余曲折がありつつこの名張の地に代々居住しました。
しかし本家とはイマイチ仲が良くなかったらしく、享保十九年(1734年)には独立すべく幕府に働きかけようとし、これが本家に知られてお家騒動となっています。
その後は本家(上野城代)の監視下に置かれるようになるなど制限が増え、名張藤堂家も本家と対立する気風が薄らいでいったようです。
名張藤堂家邸跡の地図
名張藤堂家邸跡から南西へ進んだ先には「初瀬(はせ)街道」という古い街道が通っています!
初瀬街道とは奈良県桜井市と三重県松阪市とを結ぶ街道で、古くは伊勢神宮への参詣道として利用され、今の近鉄大阪線はこの初瀬街道に沿って伸びています。
名張の街はこの初瀬街道の宿場町で、今も街道沿いは旧市街として古い町並みが残っています!
この町並みには登録有形文化財に登録されている古い民家も数多く残っています!
中にはお菓子屋さんや造り酒屋などもあり、往来する旅人相手に商売したことが想像されますね!
名張の中心的な神社「宇流冨志禰神社」へ
南の名張川の方へと歩いて行くと、平尾というところに次の目的地「宇流冨志禰(うるふしね)神社」が鎮座しています!
名張で中心となる神社であり、また『延喜式』に記されている式内社でもあります!
まずは鳥居をくぐってお参りしましょう!
御祭神は「宇奈根命(うなねのみこと)」「天照大神(あまてらすおおみかみ)」「武甕槌神(たけみかづちのかみ)」「経津主神(ふつぬしのかみ)」「天児屋根神(あめのこやねのかみ)」「姫大神(ひめおおかみ)」。他にも多くの神様を祀っているようです。
『三代実録』という平安時代の記録には「宇奈根神」という名で記されていて、これが今の御祭神としても祀られています。
しかしどのような神様なのか不明で、神社の由緒についてもイマイチはっきりしません。
「宇流冨志禰」という社名の意味もよくわからず、水に関係する、稲に関係するなどの説があるようです。
他にも伊勢神宮の神様が今の地に鎮まる前に一時的にここに祀られたという説、春日大社の神様が鹿島神宮から遷ってくるときに一時的にここに祀られたという説もあります。
境内の一画には春日神の使いである鹿の銅像が置かれていました!
今の御祭神の内、「武甕槌神」「経津主神」「天児屋根神」「姫大神」はいわゆる春日神で、こちらの神社もかつては春日社とも呼ばれていたようです。
中世の伊賀は春日大社や興福寺の荘園だったところが多く、春日神の分霊を迎える神社もありました。
こちらの神社もこのような背景で春日神が祀られるようになったのかもしれませんね!
宇流冨志禰神社の地図
宇流冨志禰神社から初瀬街道へと向かう道の途中はアーケード付き商店街となっており、「上本町サンロード」と呼ばれています!
今は寂れているものの、かつては神社前のこの道が名張の一大商業地として賑わったことでしょう。
春日大社奥宮とも言われる「積田神社」へ
宇流冨志禰神社で今回予定していた目的地は全て巡れました!
でもまだもう少し時間があったのでもう一社追加でお参りしちゃいましょう!
宇流冨志禰神社から東へと進み再び夏見地区へ。夏見廃寺で一度訪れたところですね!
夏見地区の名張川と青蓮寺川に挟まれたところに「積田(せきた)神社」が鎮座しています!
一の鳥居から伸びる参道は長く、二の鳥居まで150mほどもあります!
二の鳥居をくぐってお参りしましょう!
御祭神は「武甕槌命」「天児屋根命」「経津主命」「姫大神」。いわゆる春日神です!
この積田神社は奈良の春日大社の奥宮とも言われています。
春日大社は茨城県の鹿島神宮から神様が鹿に乗って遷ってきたと言われていますが、その途中にここに立ち寄って一時的に留まったと言われています!
春日大社に伝わる『古社記』という古い社記によれば、鹿島神宮から神様が遷ってくる途中に「伊賀国名張郡一ノ瀬河」というところに留まったことが記されています。
この「伊賀国名張郡一ノ瀬河」がこの積田神社とも宇流冨志禰神社とも言われているのです!
一般的にはこちら積田神社であるとする説の方が有力なようです。
神社の裏側へ回ると柿の木が御神木とされていて「神柿」と呼ばれています。
鹿島神宮から春日大社へ神様が遷ってくる際、神様は柿の枝を鞭(むち)としたといい、その鞭を地面に立てたところ根付いて成長したのがこの「神柿」であると言われています!
そして宇流冨志禰神社と同じく、こちらの神社にも春日神の使いである鹿の銅像が置かれていました!
積田神社の地図
帰路へ
いい時間になったので大阪へと帰ります。
名張駅前に「賛急屋」さんというレストラン兼和菓子屋があるのでお土産にお菓子を買っておきました!
帰りに乗ったのは名張駅始発の快速急行。
なんと行きに乗ったのと同じ転換クロスシートの豪華な電車でした!
転換クロスシートの電車なら車内でおやつを食べるのもはばかる必要はありません!
さきほど「賛急屋」さんで買ったお菓子をここでいただいちゃいましょう!
買ったのは名物の「なばり饅頭」。
小判型の薄皮饅頭で、上品なこしあんと上質な生地がマッチして実に美味しかったです!
快速急行なのでそうこうしてる内にあっという間に大阪に到着です!
まとめ
今回はこのように三重県名張市を堪能し尽くしてきました!
名張は近鉄の線路が建設されて以降は大阪のベッドタウンとしても発展したけれど、元々は初瀬街道の宿場町。
交通の要衝ということで式内社や古代寺院跡もあり歴史を感じるところでした!
ただ、今回は行けなかったものの名張といえば赤目四十八滝という名所があります。
古くから修験道の行場だったようで、いつかはそちらへも足を運んでみたいですね!