今回は過去編、京都府亀岡市へ行ったときのお話です!
亀岡市は #023 でも紹介しましたが、今回はより核心に近づいていきます!
亀岡市は旧令制国では「丹波国」に属していました。丹波国は現在の京都府と兵庫県にまたがる山間の地を領域としています。
そして旧令制国の政治の中心となる施設(今でいう都道府県庁のようなもの)を「国府」というのですが、実は丹波国の国府は亀岡市にあったと言われています!(※別の地という説もあり)
さらにもう一つ。
上のGoogleマップを見てもわかるように、ここ亀岡市から南丹市の南部にかけて広大な盆地が広がっていますね。この地形は「亀岡盆地」と呼ばれています。
この亀岡盆地では各地で次のような伝説が語られています。
亀岡盆地はかつて水をたたえた湖であり「丹の海(にのうみ)」と呼ばれていた。
この地を開拓しようとした神「大国主命(=大己貴命)」は、保津峡を開削して湖の水を抜いた。
すると広大な平地が現れ、大国主命はこれを開拓して広大な農地とした。
地質学的には亀岡盆地が湖だった時代もあったことが判明しているものの、いつまで湖があったのかははっきりしていないようです。
しかしそのような伝承が語られていたことは事実。
今回は丹波の中心だったこの地で語られている伝説を訪ねていく旅!
…という名目で、実はこの辺りは紅葉がとても綺麗なところも多く、これを鑑賞するのも大きな目的だったりも。
ともかく、どんな旅になるのか楽しみですね!
目次
京都府亀岡市へ!
まずは亀岡駅へ
まずはJR嵯峨野線に乗って亀岡市の中心駅、亀岡駅へやってきました!
今(2023年)では嵯峨野線を利用する観光客が多すぎて問題になっていますが、この時(2022年)はまだそれほどではありませんでした。
さて亀岡駅を下りるとご覧の通り真っ白な景色!
実はこの白いのは霧。
亀岡盆地は春や秋の天気の良い朝は必ずと言っていいほど霧に包まれ、亀岡市は「霧の都」と呼ばれるほど!
雲や風が無い夜は放射冷却で気温が下がり、盆地に冷気が溜まるため、ここでは特に霧が発生しやすいのです!
今回は行きませんが、標高の高いところから霧を眺めると美しい雲海となり、これも近年有名になりつつあります。
もしかしたら昔の人は亀岡盆地に見られる雲海を湖に見立てて、上に見た伝説が生まれていったのかもしれませんね!
早くから紅葉が美しい「鍬山神社」へ
亀岡駅から南へ2.5kmほど、霧も無事に晴れて目的地である「鍬山神社」へやってきました!
もはや出オチと言ってもいいほど素晴らしい紅葉ですね!
ここ鍬山神社は紅葉の名所として知られ、近年ではSNSによりますます人気スポットになってきています!
拝観料を納めて早速境内へと進んでいきましょう!
ここ鍬山神社の紅葉はちょっと特殊で、関西の中でもかなり早く色づきます。
流石に高野山ほどではないものの、その次くらいにはもう見頃に。
年によって違いますがだいたい11月上旬が見頃。訪れる際はSNSで検索して紅葉の具合を確認しておくのがオススメです!
さて紅葉に見とれてばかりいないできちんと参拝しておきましょう!
鳥居をくぐって石橋を渡ったところに拝殿が建っています。
やはり京都の神社の拝殿は舞殿のような形ですね!
拝殿の奥には本殿が二棟左右に並んで建っています。
向かって左側に建つこちらが本社である「鍬山神社」の本殿。
そして向かって右側のこちらは「八幡宮」の本殿です。
左右ともに文化十一年(1814年)に建てられたもので、いずれも京都府登録文化財。
さて鍬山神社について。御祭神は「大己貴命(おおなむちのみこと)」。
そうです。大己貴命は大国主命の別名で、亀岡盆地にあった湖を抜いて開拓した神様として語られていましたね。
こちら鍬山神社はまさにこの伝説に関係する神社で、伝承では開拓の際に使った鍬を山積みにしたのが社名の由来と言われています。
そして鍬山神社はお馴染み1100年前に編さんされた法典『延喜式』に記されている式内社の一つ。格式ある神社でもあるのです!
一方の八幡宮は「誉田別尊(ほんだわけのみこと)」、つまり応神天皇を祀る神社。
伝承では永万元年(1165年)に背後の面降山に神様が降臨したと言われています。
…しかしここで一つ問題が。
何と、鍬山神社の神様と八幡宮の神様、実はとっても仲が悪いと言われているのです!
鍬山神社の本殿と八幡宮の本殿は隣り合っているように見えますが、実はその間に池があります。
その池を隔てることで神様同士が争わないようにしている、と言われているのです!
そのような不穏な(?)伝承はあるものの、境内の紅葉はやはりとても美しいところ。
関西の神社の中では間違いなくトップレベルの紅葉の名所と言えることでしょう!
鍬山神社の地図
この後は近くのマイナーな神社を数社ほど巡りました。
テーマから大きく逸れるため、その様子は今回の記事では割愛。
ここからはまた別の日に亀岡を訪れたお話です!
亀岡盆地最大の古墳「千歳車塚古墳」へ
さて鍬山神社を訪れた日とはまた別の日。
この日もまた例にもれず丹波霧にすっぽりと覆われていました!
この日は亀岡駅に隣接する駐輪場のレンタサイクルを利用しています。
ただ、このレンタサイクルは2021年に終了しており、現在は場所を変えてかなりお高めな価格設定のレンタサイクルに生まれ変わっているので注意が必要。
今回は亀岡駅からひたすら北の方を目指して走っていきます。
目的地の少し手前に大きな古墳があるのでちょっと寄ってみましょう!
この古墳は「千歳車塚古墳」。古墳時代後期の6世紀前半に築造されたと推定される前方後円墳です。
墳丘長82mで、亀岡盆地では最大、そしてこの時代としては丹波地域で最大の古墳です!
ただし丹波地域全体を全時代で見ると丹波篠山市にある雲部車塚古墳(5世紀中葉に築造)が墳丘長140mで最大になります。
また、もう少し遡った4世紀後半には南丹市園部町に垣内古墳(現在は消滅)が築かれており、これは千歳車塚古墳とほぼ同じくらいの大きさだったようです。
こうして見ると、時代によって丹波地域の有力な地が移り変わっていった様子がうかがえますね!
この千歳車塚古墳の近くには、次の目的地である丹波国一宮や丹波国分寺跡など律令制における重要施設がまとまって所在しています。
そして上記したように、丹波国府がどこにあったかは諸説あるものの、少なくとも亀岡盆地にあったことは一致しています。
千歳車塚古墳が築かれてからは亀岡盆地が丹波国の政治の中心となる時代が続いたようです。
千歳車塚古墳の地図
丹波国一宮の「出雲大神宮」へ
さて千歳車塚古墳から少し東へ進んだところに今回最大の目的地である「出雲大神宮」が鎮座しています。
鍬山神社だけでなく、出雲大神宮もまた紅葉の名所として知られています。
この記事のアイキャッチもここで撮影したものですよ!
ただし、出雲大神宮の紅葉は鍬山神社よりも遅め。
だいたい鍬山神社の見頃から数日~一週間くらい後が目安で、例年だいたい11月中旬ごろに色付きます。
このため、鍬山神社と出雲大神宮で同じ日に紅葉狩りをする、というのはあまりオススメできません。
鍬山神社が例外的に早いのであって、出雲大神宮などの京都郊外はだいたいこの時期に紅葉が色付く、といった感覚でしょうか。
出雲大神宮ではこのように散った紅葉でアートが描かれており、これもちょっとした名物になっています。
紅葉を楽しむのも良いですがちゃんと参拝をしておきましょう!
参道を進んでいくとこのように立派な社殿が建っています。
拝殿はやはり京都特有の舞殿のような建物ですね!
そして後ろに建っている本殿は朱塗りが施されたとても美しいもの。
こちらの本殿は室町時代前期に建てられた貴重な建築で国の重要文化財に指定されています!
さて出雲大神宮について。御祭神は「大国主神(おおくにぬしのかみ)」とその妻である「三穂津姫尊(みほつひめのみこと)」。
そうです、こちらでも亀岡盆地にあった湖の水を抜いて開拓したと伝えられている大国主神を祀っているのです!
そしてこちらの神社、『延喜式』に載っている式内社で、霊験著しい神社に列せられる名神大社でもありました!
そしてそれだけではありません。既にちょろっと言及しましたが実は丹波国一宮はこちらの神社なのです!
ところでこちらの神社に「出雲」と付くのは気になりませんか?
実は出雲大神宮の社伝では、出雲大社の神様は出雲大神宮から迎えられたと伝えられているのです!
ただし一般的にはあまり認められておらず、出雲大神宮の方が出雲大社から神様を迎えたとするのが穏当な見方のようです。
出雲大神宮は非常に古い神社で、奥の森には多数の境内社や磐座などがあり厳かな雰囲気が漂っています。
元々は境内東側の御蔭山に鎮座していたといい、この山を神体山とする信仰だったとも言われています。
境内の最奥部には国常立尊(くにとこたちのみこと)を祀るという磐座があり、社務所で申し込み、渡されたたすきを着用することで参拝することができます。
この記事では割愛しますが、境内の奥は古代から神聖な場所だったことが感じられる空間となっているのです!
出雲大神宮はただでさえ神秘的なところなのに、加えて秋になると境内が非常に鮮やかな紅葉で彩られます。
これほど素晴らしい神社はそうそうあるものではありません。
間違いなく関西有数の名社の一つに数えられることでしょう!
出雲大神宮の地図
保津峡の入口に鎮座する「請田神社」へ
さて出雲大神宮から自転車で一気に南へと走ってきました。
上の写真に見えている川は亀岡盆地を貫く大堰(おおい)川。桂川の亀岡盆地での呼び名で、#023 でも出てきましたね!
大堰川は写真の奥の方へと流れていき、その先は保津峡。保津峡ではまた川の呼び名が変わって保津川と呼ばれています。
船で亀岡から保津峡を通って嵐山まで下る「保津川下り」は有名で、上の写真にも川下りの船が写っていますね!
大堰川の左岸沿いを保津峡方面へと進んでいくと人家がなくなり、物寂しい道が森の中へと伸びています。
不安になりながらもそのまま進んでいくと次の目的地「請田(うけた)神社」の鳥居が建っていました!
鳥居からさらに500mほど進んでいくと請田神社に到着!
境内の東端に拝殿が建っています。
やはり京都に多い舞殿風の拝殿ですが、参拝の動線としては側面からのアプローチになる変わった配置。(本殿は写真の左側にある)
そして拝殿から伸びている石段を上っていくと本殿が建っています。
さて請田神社について。御祭神は「大山咋神(おおやまぐいのかみ)」と「市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)」。
この二柱を一緒に祀る神社、実は以前にも訪れています。
それは大堰川(保津川)を下って行った先の嵐山に鎮座する「松尾大社」!(詳しくは #018 を参照)
大堰川をちょっと遡ったところに大井神社や小川月神社など松尾大社に関係のある神社があったことも思い出したいところ。(詳しくは #023 を参照)
亀岡盆地と嵐山はやはり川で繋がってるだけあって深い関係がありそうですね!
しかし請田神社の創建の様子や由緒などははっきりしません。
ただ、『延喜式』に載っている「石穂神社」もしくは「松尾神社」はこの神社だという説があり、もしそうなら式内社となります。
また、こちらも例の亀岡盆地にあった湖の水を抜いた伝説に関係する神社です。
保津峡を開削することで水を抜いたと言われていますが、その工事着工の鍬入れを受けたのがここで、社名もこれに因むと言われているのです!
神社の前を見てみるとこのような景色。
この地はまさに亀岡盆地の端で、ここから先は保津峡となります!
社前の川もこの辺りで「大堰川」から「保津川」と名前が変わります。
まさに保津峡開削の工事のスタート地点として相応しい地と言えますね!
見ての通り請田神社は大堰川・保津川のすぐ側に鎮座していることから水神として、また亀岡盆地の終端かつ保津峡の入口という立地にあることから境界の神としての側面もあったのかもしれません。
ちなみに社前から盆地側(西側)の方を見てみるとこのような感じ。
湖の水を抜いた…のかどうかは定かでないものの、何となく古の人たちが開拓していった光景が目に浮かぶ気がしますね。
請田神社の地図
大堰川の沈下橋「保津小橋」へ
次の目的地は請田神社から川を挟んだちょうど向かい側。
しかし請田神社の辺りには橋が無いためちょっと戻らなければなりません。
でも実は大堰川を渡るのにちょうどいい素敵なところがあるのです!
その素敵なところがこちら!
こちらは「保津小橋」と呼ばれる沈下橋です!
沈下橋とは、欄干が無く、水面に近いところに架けられる橋のこと。洪水になると完全に水没してしまうのが大きな特徴。
もちろん増水時に渡ることはできませんが、低価格で架橋や修復が出来るメリットがあります。
しかし転落事故が絶えないことや、渡れないときもあるなどデメリットも多く、いつでも渡れる橋への架け替え等のため今では沈下橋の数は大きく減らしています。
ただ近年は沈下橋を文化的な景観として評価する動きもあり、最近ではSNSでも沈下橋が話題になることもあります。
保津小橋から大堰川を眺めた様子。
沈下橋は水面までが近く欄干も無いため川を身近に感じることが出来るのが魅力の一つですね!
ただ、沈下橋にも時折自動車が通るのでその点は注意が必要。沈下橋は幅が狭いため、橋の上ですれ違うのはほぼ不可能です。
保津小橋の辺りは多くのススキが生えており、これもまた美しいものでした。
保津小橋の地図
保津峡入口のもう一つの神社「桑田神社」へ
さて大堰川右岸側の保津峡入口へ。先ほど訪れた請田神社から川を挟んでちょうど向かい側にあたるところです。
そこに鎮座するのが今回最後の目的地「桑田神社」です!
鍬山神社や出雲大神宮と比べればあまり知られていませんが、このように桑田神社も紅葉がとても美しいところです!
ここはトロッコ亀岡駅からも近いので、トロッコ列車と一緒に紅葉を楽しむのも良さそうですね!
またもや忘れてしまいそうですがちゃんと参拝をしておきましょう!
こちらは京都の神社では珍しく拝殿で参拝するスタイル。
拝殿の後ろに建つ本殿。社殿は比較的新しいもののようですね!
さて桑田神社について。桑田神社は『延喜式』に記されている神社、つまり式内社です。
ただし『延喜式』に記されている「桑田神社」はここでなく別の神社とする説もあるのでこの点は一応注意。
そして御祭神は「市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)」で、「大山咋命(おおやまくいのみこと)」「大山祇命(おおやまづみのみこと)」も一緒に祀っています。
そう、市杵島姫命と大山咋命は先ほどの請田神社の御祭神と同じ神様です!
つまり、亀岡盆地の東端であり、保津峡の入口でもあるこの地で、大堰川(保津川)を挟んだ二社が同じ神様を祀っているのです!
上述した通りこの神様は松尾大社の御祭神と同じ神様でもあります。
松尾大社から桂川(保津川)を遡るとここに到達します。松尾大社を祀ってきた秦氏が上流にあたる亀岡盆地にも進出し、その足掛かりとして保津峡入口の要地であるこの地に神を祀ったのでは、と推測させられます。
伝承では桑田神社の神は大国主命と共に亀岡盆地にあった湖の水を抜いて開拓したと言われています。
これまで見てきた神社とを併せて見てみると、まずは大国主命を祀る出雲系の人々が亀岡盆地を開拓し、その後に嵐山を拠点としていた秦氏が亀岡盆地に進出、さらに開拓していった、といったことが漠然と言えるかもしれません。
今回は紹介しませんが、実は出雲大神宮の2kmほど北方にズバリ式内社の「松尾神社」が鎮座しています。
こうして見ると、出雲系の人々と秦系の人々が重層的に活躍したところ、それが亀岡盆地だったのではと想像させられますね!
桑田神社はあまり知られていないため、鍬山神社や出雲大神宮と違って紅葉を独り占めできちゃうのが魅力!
そろそろ戻りたい時間ですが、この美しい紅葉をいつまでも見ていたい気持ちも。
桑田神社の地図
帰路へ
亀岡駅へ戻って自転車を返却。
帰りは亀岡駅始発の電車なので座席を選び放題でした!
まとめ
このように今回は亀岡盆地で伝わる伝説を探りつつ紅葉狩りを楽しんだ旅でした!
紅葉が素晴らしいだけでなく、亀岡盆地の地形を念頭に置きながら伝説や伝承の背景を考えることが出来て、とても面白い旅でしたね!
この前の #023 と併せて見ると亀岡盆地の歴史や風土の理解がかなり深まりそうです。
…が、実はそれでは不十分。
これまでは主に古代に焦点を当ててきましたが、亀岡の発展は中世の、特に戦国武将の活躍を見逃してはいけません。
あの明智光秀が亀山城を築いて本格的に町作りが行われ、今の亀岡の基礎となったのです!
この地も元々は亀“山”と呼ばれていたものの、伊勢の亀山と紛らわしいということで明治に亀“岡”と改称したことも知っておくべきでしょう。
中世から近世、近代にかけての亀山(亀岡)もなかなか面白い歴史があります。
その辺りも詳しく言及したいところですが、今回の記事はここで一旦区切りとしたいと思います。
アイキャッチの元画像はCi-enの記事に公開しているのでこちらも是非見てみてくださいね!