このブログを開設して初めての旅日記は兵庫県多可町!
多可町は杉原川沿いに集落や田畑の広がっていて、この谷は「杉原谷」と呼ばれています。
そしてこの杉原谷の一帯には古い神社がいくつかあります。
実はこの一帯は過去にも一度訪れたことがあるのですが、その時は時間の関係でしっかり参拝できない神社がありました。
今回はその神社を再び訪れつつ、さらに谷の奥まで進んでみるという旅です!
目次
兵庫県多可町へ!
まずは西脇市駅へ
今回は青春18きっぷを使います。
まず目指すは加古川線の西脇市駅!
大阪駅から西脇市駅へ行くには、神戸線の加古川駅から北上するルート、福知山線の谷川駅から南下するルートの二つがあるのですが、今回は後者で行くことに。
福知山線だと電車が大阪駅始発なので確実に座ることができて楽ちんですよ!
谷川駅からは一両編成のいかにもローカル線な感じの電車に乗り換え。
福知山線の初電から乗り継いでいくと西脇市駅に8:12に到着!
この駅はその名の通り西脇市の中心となる駅だけど、元々は野村駅という名前で、かつてはここから多可町方面へも線路が伸びていました。
残念ながら廃線になってしまったので多可町へはバスで行くことに。
バスが来るまでに時間があったのでこの内におにぎりで腹ごしらえ!
播磨国二宮、荒田神社へ
西脇市駅から神姫バスの鳥羽上行きに乗ることおよそ45分。
「松井庄診療所前」というバス停で下ります。
バス停から西の方へと歩いていきます。
神社への道らしく途中には灯籠も!
さらに歩いていくと鳥居が見えてきました!
ここが最初の目的地、「荒田神社」です!
鳥居をくぐると神門が建っています。
兵庫県の神戸より西側では神門が建っていることが多く、そこに随身(ずいしん)と呼ばれる武官の像が安置されています。
そのためこの神門は一般に「随身門」と呼ばれています。
神門をくぐり石段を上っていくと広い空間となっており、ここに荒田神社の社殿が建っています。
手前側の建物は拝殿といい、参拝客が参拝するためのものです。
拝殿の奥に建つ建物は本殿で、神様の御神体はここに安置されています。
つまり、神様がいらっしゃるのはこの建物ということになるのです。
「荒田神社」の御祭神は「少名彦命(すくなひこのみこと)」「素盞鳴命(すさのおのみこと)」「木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)」。
天平勝宝元年(749年)に神様が降臨したといい、そのときに大雨が降って田畑が流されてしまい、土地の人々は畏れ敬って神様を祀ったと伝えられています。
その後、播磨国(現在の兵庫県南西部)の二宮、つまり二番目に格の高い神社とされました。
荒田神社の地図
詳細:『神社巡遊録』荒田神社(兵庫県多可郡多可町加美区的場)
杉林が神秘的な青玉神社へ
再びバスに乗って、杉原谷の上流側へとさらに移動していきます。
降りたところは「鳥羽上」というバス停。「とりまかみ」と読みます。なかなか難しい読み方ですね!
ここはバスの車庫にもなっていて、多可町のバス路線の基地となっています。
鳥羽地区の風景。いかにも山奥の田舎といった感じで、由緒ありげな古めかしい民家もところどころで見られます。
バス停からさらに上流側へと道を歩いていくと、左側(西側)に鳥居が建っているのが見えてきます。
ここが二つ目の目的地、「青玉神社」!
さっそく鳥居をくぐってみると一面の杉林!
この杉林に参道がまっすぐ伸びており、神秘的な雰囲気が感じられます!
ますは神社に参拝。
青玉神社はその昔、背後にある「三国岳」の山頂で祀られていたと言われています。
ある時、狩人が三国岳で狩りをしていると背中が重くなり、ここまでたどり着いて休憩すると急に背中が軽くなったという。
これは神様がここで祀れというしるしだということでここに神様を遷して祀るようになったと伝えられています。
拝殿の後ろに建つ本殿は立派なもので、覆屋に納められています。
御祭神は「天戸間見命(あまのとまみのみこと)」。別名を「天目一箇命(あまのまひとつのみこと)」といい、金属の神様とされています。
かつてこの地で製鉄を行っていた人たちが祀ってきた神様だったのかもしれません。
この地は山奥で寒い地域のため、3月にもかかわらずまだ雪が残っていました。
この神社の見どころはやはり何と言っても杉の巨木!
境内にある杉の内、7本が兵庫県の指定文化財となっています。
社殿前に大きな杉の木が聳えている様子は本当に神秘的!
そして境内の奥にはひときわ大きな杉!この杉は先が二又に分かれていることから「夫婦杉」と呼ばれ、夫婦円満に霊験があると信じられています。
青玉神社(鳥羽)の地図
お昼ごはん!
都合のいいことに青玉神社の向かいには道の駅「杉原紙の里・多可」があります。
ここにはレストランもあるので、ここでお昼ごはんにしちゃいましょう!
お昼ごはんに注文したのは「車留満(しゃるまん)定食」!
地元・多可町加美地区の名産である「播州百日どり」のステーキ定食で、これがほんとにおいしい!
うまみが凝縮された肉がジューシーで、皮は滑らかな舌触りと甘みのあるコク!
「播州百日どり」は通常よりも長く100日間かけて育てられた鶏で、この時期にうまみ成分のイノシン酸がピークに達するのだそう。
道の駅「杉原紙の里・多可」の地図
杉原谷の最奥部の青玉神社へ
お昼ごはんを食べたら、道の駅からさらに杉原川沿いの奥の方へと歩いていきます。
狭い谷間を抜けると田園風景が広がっていて、この地を「山寄上(やまよりかみ)」といいます。
ここが杉原谷の最奥部にあたります。いかにも田舎といった光景ですね!
山寄上の集落を越えたあたりで右側(東側)の山の麓に鳥居が見えてきます。
ここが三つ目の目的地、「青玉神社」!先程訪れた神社と同じ名前ですね。
神社に近づいてみると、何と鉄の扉で閉じられていました!
これはシカやイノシシといった獣害をもたらす動物が田畑に侵入するのを防ぐためのもの。
鍵がかかっていないのでちゃんと開けることができます。
開けたらちゃんと元通りに閉めておきましょう!
鉄の扉を開けて通り、さらに鳥居をくぐるとうっそうとした杉林!清冽な空気を感じます。
社殿は石段を上ったところにあります。
石段上の平らなところに社殿が建っています。
鈴の緒や賽銭箱は拝殿内の奥にあるので、靴を脱いで中に入って参拝しましょう。
こちらの神社も本殿が覆屋に納められています。やはり山間の地なので雪除けのために必要なのでしょう。
御祭神は「天目一箇神(あめのまひとつのかみ)」と「五百箇磐石命(いおついわむらのみこと)」。
こちらも金属の神様である天目一箇神を祀っていますね!
もう一方の五百箇磐石は、『日本書紀』ではイザナギノミコトがカグツチを斬ったときに滴った血によってできた岩群とあります。
これが神様になったのが五百箇磐石命なのでしょうが、この神様が祀られている理由はよくわかりません。
こちらの神社では境内の沢の水を引いて手水(=神社の手を洗うところ)にしていました。
青玉神社(山寄上)の地図
杉原紙について学ぼう!
山寄上の青玉神社から道の駅へ戻ります。
帰りのバスまで時間があるのでちょっと時間をつぶしましょう。
「杉原紙」とは江戸時代以前に日本各地で作られていたコウゾを原料とした和紙のこと。
当時「杉原紙」は一般名詞となっており、「杉原」がどこかの地名であろうとうっすら思われていたものの、その地は不明となっていました。
明治に入って西洋の紙が取り入れられると杉原紙は一気に廃れ、大正年間には生産が途絶えるほどになってしまいました。
その後、昭和に入って和紙を見直す機運が生まれます。
これに伴い杉原紙の起源について研究された結果、当地、つまり杉原谷がそうであると結論づけられたのです!
道の駅から杉原川を渡ったところに「和紙博物館」があり、ここで杉原紙について学ぶことができます。
博物館というよりはこぢんまりとした資料館といった感じ。無料で見学できます。
そして今はこの地で杉原紙の製作が復活しており、製作の様子を見学・体験したり、杉原紙を購入したりすることもできますよ!
手前を流れる杉原川では紙の原料であるコウゾを漂白する「寒晒し」が行われており、柵には晒したコウゾが干されていました。
この後はバスに乗って西脇市駅まで戻り、帰路に就きました。
帰りは行きと異なるルート、南側の加古川経由で帰ることに。
まとめ
ブログ開設して初めての旅はこのような感じでした。
参拝した神社は三社だけですが、神社が無ければ絶対訪れないような山奥へ行くことができてとても楽しい一日でした!
訪れた神社は想像以上に雰囲気満点で、食べ物もおいしく、杉原紙の歴史についても学ぶことができ、本当に充実した旅でした。
今後も旅を通してブログを更新していけたらと思っています!