今回も過去編です!梅雨入り直前に岡山市北区の神社を巡ってみたときのお話!
岡山市北区といっても広いですが、今回は吉備津と呼ばれる地域を主に訪れました!
みなさん、岡山といえば何を思い浮かべますか?
そう、岡山といえば桃太郎ですよね!
ただ、桃太郎の舞台が岡山だというのは厳密にはちょっと違います。
桃太郎も色々と脚色されて今みなさんが知っているお話になっているのですが、その元になったと(一説に)言われている伝承が岡山にある、といった表現がより正確です!
今回はその桃太郎の元になったとも言わる伝承のある岡山の神社を巡ってみちゃいます!
どんな旅になるのか楽しみですね!
目次
岡山市北区へ!
まずは吉備津駅へ
今回は贅沢に新幹線に乗っちゃいます!
初電の新幹線で一気に新大阪駅から岡山駅までワープ!
岡山駅に着いたら吉備線というローカル線に乗り換えます。今は桃太郎線っていう愛称が付いているみたいですね!
乗ったのは何だかレトロな朱色の車両。厳密にはこれは電車じゃなく気動車という分類だそうです!
車内はこのような感じ。ボックスシートがズラッと並んでいて旅情がそそられますね!
気動車でコトコトと揺られて吉備津駅という駅で下ります。
無人駅のとっても小さな駅ですね!
ちなみに到着したのは7:25!新幹線を使えばこんなに早い時間に着けるのですね!
備中国一宮の「吉備津神社」へ!
吉備津駅へ着いたら早速最初の目的地へと向かいます。
吉備津駅を下りたらもう早速その目的地の鳥居が建っていました!
鳥居から松並木の続く道をまっすぐ進むと、最初の目的地「吉備津(きびつ)神社」があります!
入口から石段を上っていくと朱塗りの神門が建っています!
とっても威厳がありますね!
神門の先には再び石段があり、この上をちょっと進んだところが拝殿となります!
早速お参りしちゃいましょう!
さてお参りしたら拝殿と本殿を見てみましょう!
拝殿と本殿は一体化した形。そして後ろ側の本殿部分は二つの三角屋根が繋がっていますね!
この本殿は吉備津神社独特の形式で「吉備津造」とも呼ばれています!
さらに、この建物は応永三十二年(1425年)に建てられたとっても古い建物でもあります!
言うまでもなくとっても貴重な建物で国宝に指定されています!
さて吉備津神社について。
1100年前に編さんされた法典『延喜式』に記されている「式内社」です。おなじみですね!
さらにそれだけでなく、こちらは備中国の一宮とされていました!
岡山県は明治に県が置かれるまでは備前(びぜん)国、備中(びっちゅう)国、美作(みまさか)国の三つの国に分かれていたのですが、この内の備中国で最も格式の高い神社がこちらだったのです!
ちなみに現在岡山県となっている備前国、備中国、美作国の三国と、現在広島県の東部となっている備後(びんご)国の四ヶ国を合わせて「吉備」と呼びます。
この「吉備」の中で最も大きな神社がここ吉備津神社でもあるのです!
吉備津神社の御祭神は「大吉備津彦命(おおきびつひこのみこと)」という人物。孝霊天皇の皇子で、平定のために各地に派遣された四人の将軍「四道将軍」の一人。
大吉備津彦は西国へ派遣されて半年ほどで平定したことが『日本書紀』に記されています。具体的な描写はありませんがその名から主に吉備で活躍したものと考えられています。
『古事記』や『日本書紀』には一切記されていませんが、この地の伝承ではかつて「温羅(うら)」と呼ばれる鬼がいて、大吉備津彦命がこの鬼を退治したと伝えられています!
その内容は伝承によって違いがあるものの、だいたいのあらすじは次の通り。
昔、温羅という異国の鬼が吉備を支配し人々を困らせていた。
そこで四道将軍の一人として派遣された大吉備津彦命がこの鬼を退治するために今の吉備津神社の地に本陣を構えた。
まず大吉備津彦命は温羅に対して二本の矢を射たところ、一本が温羅の目を射抜いた。
すると温羅は雉に化けて逃げたので大吉備津彦命は鷹に化けて追いかけた。
さらに温羅は鯉に化けて逃げたので大吉備津彦命は鵜に化けてついに捕らえた。
こうして無事に温羅を退治することができた。
この伝承に関係する地は吉備津神社周辺の吉備津と呼ばれる一帯に広くあります。
例えば吉備津神社の入口にも大吉備津彦命が温羅へ矢を放つときに矢を置いたという「矢置石」があります。
下の写真がそうですよ!
他にも大吉備津彦命の矢が落ちたという「矢喰神社」や、鯉に化けた温羅を鵜に化けた大吉備津彦命が捕らえた「鯉喰神社」などもありますよ!
そしてもうお気づきの方もいらっしゃると思います!
実はこの大吉備津彦命と温羅のお話が、あの「桃太郎」のお話の元になっていると言われているのです!
本当にこのお話が桃太郎の元になったのかは実は諸説あるところ。
さらに岡山でなく他の地の伝承が元になっているとも言われていたりもします。
実際のところ物語としての桃太郎が成立したのは室町時代以降ではないかと言われており、どこまで岡山の伝承が関わっているのかはよくわかりません。
温羅の伝承にはさらに続きがあります。
討たれた温羅の首は討たれてもなおうなり声を上げ続けた。
犬に食わせて骨にしても、地中深くに埋めても、それでもうなり声はやまなかった。
ある日、大吉備津彦命の夢に温羅が現れ「我が妻の阿曽媛(あそひめ)に神饌(しんせん:神に供えるための料理)を炊かせよ」と告げ、そのようにしたところうなり声は鎮まった。
それ以来、竈で神饌を炊くときの音で吉凶を占うようになったと言われています。
この占いを「鳴釜神事(なるかましんじ)」といい、吉備津神社の境内にはこの神事を行うための「御竈殿(おかまでん)」という建物があります!
その「御竈殿」がこちら!
中には竈があり、その竈の下の地中深くに温羅の首が埋まっているとも言われています!
今でも「鳴釜神事」が行われており、毎週金曜日以外なら誰でも神事を受けることができますよ!
『ブラタモリ』でもタモリさんがやっていましたね!
ちなみにその音をどのように判断するかは自分自身で決めるようですよ!
そして吉備津神社といえばとっても長い廻廊があるのも特徴の一つ!
雨が降っていても雨に濡れずに境内を移動できるのは良いですね!
この廻廊に沿って多くの境内社もあるので是非とも参拝してみてください!
吉備津神社の地図
備前国一宮の「吉備津彦神社」へ
吉備津神社から東へ山沿いに20分ほど歩いていくと、次の目的地「吉備津彦神社」が鎮座しています!
名前に「彦」が付いてるか付いてないかの違いで結構まぎらわしいので注意!
入口には岡山らしく備前焼の狛犬が置かれていました!
鳥居をくぐって参道を進んでいくと神門が建っています!
実は吉備津彦神社では戦後すぐに大規模な火災があり、多くの建物が焼失してしまいました。
その中でも焼け残った数少ない建物の一つがこの神門です!
神門をくぐって石段を上った先に社殿が建っています!
さっそくお参りしちゃいましょう!
後ろに建つ本殿も火災で焼け残った貴重な建物の一つ!
元禄十年(1697年)に建てられたもので岡山県指定文化財となっています!
さっきの吉備津神社の本殿は流石に別格ですが、こちらはこちらで貴重なものですよ!
さて吉備津彦神社について。御祭神は吉備津神社と同様に「大吉備津彦命」。
そして備中国の一宮だった吉備津神社に対し、こちら吉備津彦神社は備前国の一宮です!
そう、実は吉備津神社と吉備津彦神社のわずか1kmちょっとの間に、かつての備中国と備前国の境界があったのです!
そしてこちら吉備津彦神社は備前国となり、その中で最も格式の高い神社が吉備津彦神社だったのです!
ただし、実はこちら吉備津彦神社は『延喜式』に記されていません。つまり式内社ではないのです!
上にもちょっと書きましたが、かつて備前国と備中国、そして備後国と美作国も合わせて吉備国という一つの国でした。
この吉備国が四つに分かれるときに、吉備津神社から神様の分霊を遷したのがこちら吉備津彦神社だと言われています!
ちなみに同様に備後国でも吉備津神社から神様の分霊を遷した神社があって、そちらも「吉備津彦神社」という名前で備後国の一宮となっていたりします。
それだけ吉備では吉備津神社の信仰がとっても重視されたわけですね!
吉備津彦神社でもとってもたくさんの境内社がありますが、ここでは一つだけ。
社殿から左奥へと進んだところに「温羅神社」が鎮座しています。
そう、大吉備津彦を退治した鬼である「温羅」をこちらでも祀っているのです!
こちらは特に温羅の伝承地というわけではないのですが、吉備津(彦)神社の信仰とは切っても切り離せないのでこちらでも祀っているのでしょう。
吉備津彦神社の地図
宗像大社から分霊を迎えた「宗形神社」へ
次の目的地はちょっと寄り道的なところ。
吉備津彦神社から砂川という小さな川に沿って北へ向かって歩いていきます。
しばらく歩いていくと大窪(おおくぼ)というところにちょっとした丘があり、その麓に鳥居が建っているのが見えます。
ここが次の目的地「宗形(むなかた)神社」!
この丘の上へと登ると社殿が建っています!
さっそく参拝しちゃいましょう!
さて宗形神社について。御祭神は「多紀理比売命(たきりひめのみこと)」「市杵島比売命(いちきしまひめのみこと)」「多岐津比売命(たぎつひめのみこと)」「素盞嗚命(すさのおのみこと)」。
この内の最初の三柱はいわゆる「宗像三神」と呼ばれる神様で、福岡県の宗像大社で祀られている神様と同じなのです!
そしてこちらの神社は、その宗像大社から神様の分霊を遷して祀った神社だと言われています!
しかもそれだけでなく、こちらの神社もまた『延喜式』に記されている神社、つまり式内社なのです!
いつ頃神社が創建されたかははっきりしないものの、少なくとも1100年の歴史があることになりますね!
宗像大社といえば海の神様です!
しかしこちらは海からちょっと離れた内陸の地ですよね。
実は古くは海がもっと入り組んでいたと言われ、この辺りまで海があったとも言われているのです!
吉備津神社や吉備津彦神社のある「吉備津」と呼ばれる地域も、文字通り吉備の津、つまり海の港があったとも言われています!
宗形神社や吉備津神社・吉備津彦神社を祀ってきた人たちは、かつてこの辺りまで広がっていた海を交易などの拠点として利用してきたのかもしれませんね!
さらに、こちら宗形神社の社殿の裏側には「宗形神社古墳」という古墳があります!
直径15mほどの円墳で、5世紀前半に築かれたものと考えられています。
宗形神社の祭祀と関係するのかはわかりませんが、もしかしたら宗形神社を祀ってきた人たちの先祖が葬られているのかもしれませんね!
宗形神社の地図
神秘の山「吉備の中山」へ
吉備津神社や吉備津彦神社の背後には「吉備の中山」と呼ばれる山があります。
この山は古くから神域として大切にされたところで、とってもたくさんの岩石があります!
そして吉備津神社の祭祀の原点がこの吉備の中山だったとも言われています!
せっかくなのでこの吉備の中山に登っちゃいましょう!
吉備津彦神社へ戻り、さきほど見た温羅神社のある辺りから吉備の中山の登山道が伸びています!
ここから登ってみましょう!
しばらく登っていくとこのような山道が続きます!
途中でこのような分かれ道があります。
山頂は分かれてる方の先にあるのでまずはこちらに行ってみましょう!
しばらく進むとこのような岩があります!
注連縄がかけられていてなんだか神々しいですね!
この岩は「元宮磐座(もとみやいわくら)」と呼ばれていて、吉備津彦神社の元宮と言われています。
磐座とは神様の宿るとされる神聖な岩石のこと。
ただし実際のところそのような資料は無いらしく、吉備津彦神社の元宮だと言われだしたのも平成以降のようです。
元宮磐座から山頂の方へと進むと経塚(きょうづか)があります。
経塚とは供養のためや後生安楽を願って経典を埋めた塚のこと。
この経塚は鎌倉時代のもので、吉備の中山では中世には仏教的な信仰も行われたようですね!
経塚の隣にはこのような横に連なった石の祠があります。8つの穴が開いてますね!
この祠には「八大龍王」が祀られていて、天明年間(1781年~1788年)の干ばつのときに奉納されたもの。
龍王は雨を司る神様で、雨が降らないときにはここで雨乞いの祈願したのでしょう。
八大龍王の祀られているところは吉備の中山の山頂です。標高170m。
ここは景色も開けていて岡山平野を眺めることもできちゃいます!
さて道を戻ります。今度はさっきの分かれ道からもう一方の本線側を進んでいきます。
道の途中にあったこの岩は「お休み岩」と呼ばれています!
いわくありげですが、実はこの岩に関しては何の言い伝えも無いそうです。
さらに進んだところには岩が環状に並んでいるところがあって、「環状石籬(かんじょうせきり)」と呼ばれています!
主に東北地方や北海道で見られる岩石が環状に並んだ遺跡を「環状列石」や「ストーンサークル」と呼びます。
ここもその一種だと言われてますが、そうではないと疑問視する説もあるようです。
さらに先の方にあるのは「鏡岩」と呼ばれる大きな岩!
鏡のような平らな面があって、その面にはたくさんのシワシワな模様がありますね!
再び分かれ道があり、分かれている方の道を進むとこのようなとってもたくさんの岩が転がっている一帯があります!
これらは「八畳岩(はちじょういわ)」と呼ばれていて、吉備の中山でも特に多くの岩石が集まっているところです!
こちらは吉備津神社の奥宮にもなっているようですね!
そしてこちらは土師器などの破片が採集されているようで、古くから信仰の場だったようです!
道を戻って本線側の道をさらに進むととっても大きな古墳があります!
この古墳は「中山茶臼山古墳」と呼ばれていて、墳丘長105mにもなる大きな前方後円墳です!
この古墳は宮内庁によって「大吉備津彦命墓」として整備・管理されています。
そう、吉備津神社や吉備津彦神社の御祭神だった人物ですね!
今回は訪れませんでしたが、吉備の中山には他にもたくさんの古墳があります。
古墳時代からこの山が特別なところだったことがうかがえますね!
中山茶臼山古墳から山を下りると吉備津神社へと戻ってきました!
ここから廻廊を通って吉備津神社の本殿へ行くことができます。
おやつ(?)&帰路
吉備津駅から岡山駅へと戻ってきました。
お昼はおにぎりを食べただけでお腹が空いたので、駅直結のショッピングセンターにある「吾妻寿司」さんでガッツリとおやつ(?)を食べることにしました!
こちらでいただいたのは「さわら丼」!
サワラといえば焼き魚のイメージですが、岡山県では鮮度の良いサワラを刺身で食べるのが一般的!
「吾妻寿司」さんではこのような岡山の食文化を気軽に味わうことができちゃいます!
「吾妻寿司」さんの地図
行きは新幹線でしたが帰りは在来線でのんびりと。
帰りに岡山駅から乗った電車はオレンジと緑の鮮やかな湘南色でした!
姫路駅からは新快速であっという間に大阪に到着です!
まとめ
今回はこんな感じの岡山への旅!
とっても古い信仰や伝承、建物がよく残っていてとっても壮大かつ神秘的な一日でした!
こうした古い伝承が時代をへて今みんながよく知る桃太郎になっていったのかもしれませんね!
桃太郎の源流かもしれない吉備津周辺、本当に良い神社が多いのでみなさんも是非訪れてみてくださいね!
アイキャッチの元画像はCi-enの記事に公開しているのでこちらも是非見てみてくださいね!