今回も過去編!岡山県の南端、倉敷市の下津井(しもつい)というところへ行ったときのお話です!
岡山県の南端には児島半島という半島が瀬戸内海にゆるく突き出ています。
そしてさらにこの児島半島の最南端で海へ鋭く突き出ている地が「下津井」と呼ばれるところです!
この下津井の地形は船の往来にとても有利で、天然の良港でもあったことから非常に古くから風待ち・潮待ちの港として利用されてきました。
#016で訪れた鞆の浦と同様ですね!
こうしたことから港町として栄え、現在も港町らしい町並みがよく残っています。
海を通して大坂との往来が非常に多かったことから、下津井で話されている方言は岡山県内の他の地域と異なり近畿方言(≒関西弁)と共通の特徴を持っていると言われています!
そしてさらに現在では瀬戸大橋がここ下津井から架けられ、本州と四国とを結んでいます!
かつての海上交通の拠点は現在は陸上交通の拠点にもなっている、というわけですね!
今回はそんな下津井を巡ってみました!どんなところなのか楽しみですね!
目次
岡山県倉敷市の下津井へ!
まずは児島駅へ
今回は新幹線の初電で新大阪駅から一気に岡山駅へとワープしちゃいます!
岡山駅からは児島行きの電車に乗り換えます。
快速マリンライナーが便利ですが今回はあえて普通電車で。
乗った電車はこのようにとってもファンシーなものでした!車内もちょっとメルヘンチックです!
終点の児島駅で降ります。
児島駅周辺は国産ジーンズ発祥の地で、現在もジーンズの生産が盛んな「ジーンズの町」として知られています!
ですが今回はスルー。海沿いを南へと歩いていきます!
海の神様?大畠の「海神社」へ
さて、そもそも下津井は四つの地域で構成されています。
それは「下津井」「吹上(ふきあげ)」「田之浦(たのうら)」「大畠(おばたけ)」。
これらの内、下津井・吹上・田之浦は半島の南端で一続きですが、大畠は峠を挟んで東側にあり孤立しています。
児島駅から南側に大畠地区があるのでまずはそこを目指します。
児島駅から2.5kmほど歩いていくと、下津井の一画である大畠地区へと至ります。
海岸は大きな漁港となっていて港町らしい風情が溢れていますね!
大畠地区は家が密集しており迷路のようになっています。このように家が密集しているのは古い漁村の特徴です。
今回はこうした家と家の隙間を縫うような狭い道を通って峠越えを目指します!
この迷路のような道を進んでいくと神社が見えてきます。
こちらの神社の名前は「海(かい)神社」!
うっそうとした森の参道を進んでいくと鳥居が建っていて、そこに掲げられている扁額には「石龍大明神」と書かれています。
鳥居をくぐって石段を上ると社殿が建っているので早速お参りしちゃいましょう!
拝殿の後ろに建つ本殿はこのような感じ。
斜面上の狭いところにあるけれどなかなか立派な本殿ですね!
さて海神社について。
残念ながら資料が極めて乏しく御祭神や由緒ははっきりしません。
ただ大畠は古くから下津井の一画の港町として栄えたことから、漁業や航海に関する神様が祀られているかもしれません。
はっきりとはわかりませんが、その名の通り海の神様、また「石龍大明神」の呼び名から龍蛇のような姿の神様なのかもしれませんね!
境内は山の斜面となっていて、そこには巨大な岩石がごろごろと転がっています。
岩石の前に境内社もあり、こうした岩石に神様を祀ったのが海神社の始めだったのでは、とも思わせられますね!
「石龍大明神」の呼び名からしてもこうした岩石が祭祀に関係する可能性は高いと言えるかもしれません!
海神社の地図
瀬戸内海の絶景!鷲羽山へ
海神社から少し進んだところは東側が開けていて、大畠地区を見渡すことができます。
そこから峠となっている瀬戸大橋の高架下のトンネルを抜けます。
その先に田之浦地区があるのですが、その前に「鷲羽山(わしゅうざん)」へと行っておきましょう!
鷲羽山は児島半島の最南端にある山で、この山頂からは絶景が見渡せるのです!
山道を登っていくこと約10分。
岩がゴツゴツとしたところに鷲羽山の山頂があります!
山頂からはこのように雄大な瀬戸内海の美しい景色が見渡せます!
本州と四国を結ぶ瀬戸大橋は下津井から架かっているので橋がすぐそこに見えますね!
さらに橋の先をずーっとたどっていくと四国まで見渡せちゃいます!
瀬戸大橋の反対側、北側も景色が開けていて、こちらはさきほど訪れた大畠地区や児島駅方面を見渡すことができます!
鷲羽山には多くの古墳もあって「鷲羽山古墳群」と呼ばれています。
多くは横穴式石室の円墳で、おおむね古墳時代後期のもの。
さらに鷲羽山には「鷲羽山遺跡」と呼ばれる旧石器時代の遺跡もあるらしく、とっても古くからここに人々の活動があったことがわかりますね!
鷲羽山(山頂)の地図
田之浦にある式内社「田土浦坐神社」へ
鷲羽山から道を戻ってきました。
大畠地区から峠を越えたところは田之浦というところになります。
峠を越えた辺りは高い場所となっているので田之浦地区の町並みがよく見渡せます!
そこから少し南の方へと歩いて行くと神社が鎮座しています。
こちらが次の目的地「田土浦坐(たつちのうらにまします)神社」です!
山の斜面上にあるので境内は狭いです。
石段を上ってすぐに社殿が建っているので早速お参りしましょう!
本殿はこのような感じで、やはり狭いところに建っていて窮屈な印象。
さて田土浦坐神社について。御祭神は海の神様である「大綿津見神(おおわたつみのかみ)」。
こちらの田土浦坐神社は1100年前に編さんされた『延喜式』に記されている神社、つまりおなじみ式内社です!
ただ田土浦坐神社の候補地は他にもあるためここが式内社かは諸説あるようです。
古くからの港町である下津井の一画に鎮座する神社ということで、海の神様を祀っているのも納得です。
漁業や航海に携わっている下津井の人々に海の守護神として古くから祀られてきたのがこちらの神社だったことでしょう。
またこちらの神社で祀られている神様は「火が嫌い」とされていて、火災を防いでくれる神様としても信仰されているようです。
瀬戸大橋は田土浦坐神社のすぐそばから架かっています。
そのため、境内からはこのように迫力のある瀬戸大橋を間近で眺めることができます!
さらに田土浦坐神社の鳥居からの景色も素晴らしいものです!
このように鳥居越しに田之浦の町並み、そして瀬戸内海を眺めることができるのです!
まさに海の神社を祀るにふさわしい風景ですね!
ちなみに今回のアイキャッチ画像はここから撮ったもの!
田土浦坐神社の地図
昔ながらの景観が残る下津井の町並み
田之浦地区
田土浦坐神社から参道となっている石段を下りると田之浦地区の集落となっています。
田之浦地区は特に漁業が盛んで、その町並みも漁村らしく家が密集して迷路のようになっていますね!
吹上地区
田之浦地区から西へ歩いていくと吹上というところがあります。
田之浦から吹上、そして西の下津井まで一本道が続いていて、この道に沿ってナマコ壁のあるとっても立派な家が並んでいます!
ナマコ壁とは、上の写真の家の壁に見える、黒地に白い×印で格子状の装飾が付いた部分。同じ倉敷市の美観地区でとっても有名ですね!
この辺りは江戸時代以降は廻船業、つまり船を用いて交易を行っていた者が多く、また宿屋や料亭、金融業者などもあった繁華街でもありました。
かつて下津井は瀬戸内海における海上交通の重要な拠点だったので、下津井の人々は船をこしらえて盛んに交易を行い財を築きました。
さらに他所の船も非常にたくさん寄港し、彼らを相手にした商売も盛んに行われため、下津井はとても賑やかな町になっていったのです!
その名残がこうしたナマコ壁の町並みというわけですね!
下津井地区
吹上地区にもちょっと訪れたい場所があるのですが、一旦その先の下津井地区を見ておきます。
下津井地区は吹上地区と一体的に集落が形成されていて、さきの一本道に沿って一続きに家が並んでいます!
下津井地区も廻船業などに携わった者が多く、やはり立派な家が多いですね!
下津井地区には「むかし下津井回船問屋」というところがあります。
ここは商家を改装した資料館で、無料で下津井の歴史を学ぶことができちゃいます!
蔵を改装した休憩所もあって見どころ満載ですよ!
「むかし下津井回船問屋」の地図
住吉神を祀る「四柱神社」へ
さて道を少し戻ります。
さきほど通り過ぎた吹上地区には、集落を少し奥へ進んだところに「四柱神社」が鎮座しているのでお参りしていきましょう!
石段を上っていくと神門(もしくは割拝殿?)が建っています。
この先もまだまだ石段が続いていますね!
石段を上り切ったところに社殿が建っているのでお参りしちゃいましょう!
拝殿後方に建っている本殿はこのような感じ。崖の上の狭いところにある割にはとても立派な本殿ですね!
さて四柱神社について。御祭神は「住吉三神」と「神功皇后」。社名の「四柱」とは住吉三神と神功皇后を併せた四柱の神様こと。
伝承では承平年間(931年~938年)に大阪の住吉大社から神様の分霊を迎えたと伝えられています。
住吉大社は#011で訪れましたね!
住吉神といえば航海の神様。吹上地区の住民は漁業や交易など船に乗って生計を立てていたため、恐らく航海神である住吉神を守護神として祀ったのでしょう。
ただ、住吉神を主祭神とする神社は関西では多いものの、岡山県など瀬戸内中部では意外にも多くありません。
その中にあって四柱神社は比較的大きな住吉系の神社としてやや珍しいところと言えるかもしれません。
上述のように下津井では近畿方言の特徴を持つ方言が話されており、四柱神社はその歴史を偲ぶものと言えるかもしれないですね!
ここ四柱神社は崖の上に鎮座しているため、境内からは瀬戸内海の様子を眺めることができます!
ここから眺める瀬戸大橋もとても美しいものですね!
四柱神社の地図
下津井の鎮守「祇園神社」へ
さて再び隣の下津井地区へ。下津井地区の中央には海に突き出た「浄山(じょうやま)」という小さな丘があり、そこに「祇園神社」が鎮座しています!
この丘の東側に入口となる鳥居が建っているのでここから境内へと入っていきます。
石段を上っていくと参道は右側へ下りて再び石段が続き、もう一つ鳥居が建っています。
二つ目の鳥居をくぐった先の広場に社殿が建っているのでお参りしちゃいましょう!
拝殿後方には二棟の本殿が並んでいるのが特徴的ですね!
さて祇園神社について。御祭神は「素戔嗚命(すさのおのみこと)」を主祭神とし、「奇稲田姫命(くしいなだひめのみこと)」、「大蛇麁正(おろちのあらまさ)」、「長浜神(ながはまのかみ)」、「八社大明神」、「事代主神(ことしろぬしのかみ)」を祀っています。
祇園神社の創建年代ははっきりしないものの、下津井の鎮守として古くから祀られてきました。
元々この地には上記の長浜城があった時期にその鎮守として「長浜宮」という神社があったと言われています。
江戸時代に別の神社だった祇園宮を合祀し、こちらの神社が「祇園神社」となったようです。
こちらの神社もやはり海の神様、航海の守護神として信仰されてきました。
祇園信仰の神社が海の神様として祀られた例は#016で訪れた鞆の浦の沼名前神社でも同様ですね!
上述したように祇園神社の鎮座地は海に突き出た丘となっています。
このため祇園神社でも境内からこのように瀬戸内海の美しい光景を眺めることができちゃいます!
鳥居と瀬戸大橋の対比が美しいですね!
祇園神社の地図
下津井電鉄の下津井駅跡へ
かつて下津井には電車が走っていました。
「下津井電鉄」といい、下津井駅と茶屋町駅(1972年からは児島駅まで)を結んでいたものの1991年に残念ながら廃止となりました。
下津井の町の西側に下津井駅の跡地があり、今も線路やホームなどが残されています!
瀬戸内海有数の港町だった下津井は本州から四国への玄関口でもありました。
鉄道(宇野線)が建設されて以降は宇野が四国への玄関口となりましたが、古くからの玄関口だった下津井も負けじと四国への旅客輸送の為に建設したのが下津井電鉄です!
四国への旅客輸送は振るわなかったものの、児島で繊維産業が発展したために旅客や貨物の輸送が増え、戦後も風光明媚な鷲羽山への観光客で賑わったようです。
しかし道路網の整備によりバスや自動車が便利になったことで1972年に児島駅~茶屋町駅が廃止。残る下津井駅~児島駅間は道路事情が悪かったために残ったものの、瀬戸大橋の開通により周辺道路も整備され、乗客も増えなかったことから1991年に全線廃止となってしまいました。
下津井駅跡のそばにはかつて実際に走っていた電車が保存されています。
全て1両編成の小さな電車ですね!
線路の幅も一般的な鉄道路線より狭い規格でした。
下津井駅跡の地図
漁港そばに鎮座する「木里神社」へ
下津井駅跡の南西側、漁港のすぐそばに「木里神社」が鎮座しています。
木里神社については資料が極めて乏しく、残念ながら御祭神や由緒などは不明です。
こちらもやはりこれまで見てきた神社と同様に海に関する神社なのでしょうか。
木里神社の地図
海を眺めつつ帰路へ
これで今回の目的地は全て訪れることができました!
ブラブラと海を眺めつつ帰路に就くことにしましょう!
下津井の港はかつては商船や四国への旅客船など様々な船が出入りしていましたが、海運の要衝としての地位が低下した今は専ら漁港となっています。
漁業は今でも盛んで、特にタコは名物となっています!
祇園神社の辺りの海岸はよく整備されていてとてもきれいな景色!
田之浦地区まで戻ったところでバスに乗って児島駅へと戻ります。
児島駅からの電車は行きに乗ったのと同じファンシーな電車でした!
そして岡山駅からはおなじみオレンジと緑のかぼちゃ色(湘南色)の電車でした!
この電車で姫路駅まで移動し、そこからは新快速で大阪へと帰りました。
まとめ
#016の鞆の浦に続き、今回も瀬戸内海の要衝とされる港町でした!
下津井は鞆の浦ほどの知名度は無いものの、古くはそれに匹敵するほど重要な港町でした。
そのおもかげは今に残る町並みからも感じることができます!
そして下津井の神社や近くの鷲羽山から眺める瀬戸内海はとても素晴らしいものでした!
観光地としてはあまり知られていないものの、もっと多くの人に知ってもらいたい素敵な場所だと感じました!
アイキャッチの元画像はCi-enの記事に公開しているのでこちらも是非見てみてくださいね!