今回も過去編、和歌山県の湯浅町と有田市を巡ってみたときのお話です!
有田川沿いのこの辺り一帯はみかんの産地として有名です!
冬の初めにこの辺りを訪れると、果樹園となってる山の斜面が一面みかんだらけになっちゃいます!
でも今回訪れたのは夏真っ盛り。残念ながらみかんの時期ではありません。
とはいえこの辺りはみかんだけではありません!
みかん以外にもとってもたくさんの魅力があり、どの季節でも楽しめちゃうんです!
夏に訪れるとどんな旅になるのか楽しみですね!
目次
和歌山県湯浅町へ!
まずは湯浅駅へ
湯浅駅は和歌山駅より南にあります。だいたい大阪から行く場合は和歌山駅で乗り換えないといけません。
でも朝に一本だけ天王寺駅から湯浅駅行きの直通の電車があるので、これに乗れば乗り換え無しで楽々湯浅駅まで行けちゃいます!
しかもおなじみ快適な転換クロスシートなのでゆったり旅を楽しむことができます!
8:36に終点の湯浅駅に到着です!
湯浅駅の駅舎は最近になって改装されたようですね!
醤油と漁業の町「湯浅」の町並み
さて早速湯浅の町並みを散策しちゃいましょう!
湯浅駅から北西にちょっと歩いたところが湯浅の古くからの市街地です。
なんだかとっても古めかしい町並みですね!
実際に江戸時代以来の家屋もあり、古い町並みが良好に残る貴重な区域となっています!
2006年にはこの湯浅の景観の価値が認められて重要伝統的建造物群保存地区にも選定されました!
そして湯浅といえば醤油です!
実は湯浅は醤油発祥の地と言われていて、由良町の興国寺で作られていた味噌(金山寺味噌)から醤油が生まれてここ湯浅で本格的に作られていったと言われています!
ただし醤油の起源については諸説あって定かではありません。
少なくとも醤油の歴史において湯浅の果たした役割はとても大きなものでした!
中世にはここ湯浅で醤油が大々的に作られるようになり、しかも湯浅は海に面した港町でもあったため、大坂など各地へすぐ出荷することができたのです!
湯浅には現在も醤油蔵が建ち並んでいて、歩いていると醤油醸造の独特の香りが漂ってきます!
もちろん醤油を購入することが可能で、一部では資料館になっているところもありますよ!
まさに醤油を通して発展していった町が湯浅であり、その町並みが今に伝えられているのです!
そして上にも書いたように、湯浅は醤油だけでなく港町でもあります!
市街地の南側には船溜まりがあり、このように多くの漁船が並んでいます!
醤油造りだけでなく漁業も盛んなところであることがわかりますね!
湯浅はあまり観光地化していないため、あまりガヤガヤしておらず素朴な雰囲気が漂っています。
江戸時代以来の醸造町の様子が今も生きている、というわけですね!
その素朴さが風情を醸し出している一面もあり、これまた実にフォトジェニックだったりもします!
観光地じゃない素朴な町並みをのんびり歩いてみたいという場合、湯浅は本当にオススメですよ!
湯浅の鎮守「顯國神社」へ
湯浅の鎮守となる神社は町の北東部にあります。
その名も「顯國(けんこく)神社」!
鳥居と神門をくぐって境内へ入っていきましょう。
神門の奥に社殿が建っています!早速お参りしちゃいましょう!
拝殿やその奥にある祝詞殿、本殿は江戸時代中期に建てられたもので湯浅町指定文化財になっているそうですよ!
さて「顯國神社」について。御祭神は「大己貴命(おおなむちのみこと)」他四柱の神々を祀っています。
社伝によれば、延暦二十年(801年)に坂上田村麻呂が霧崎菖蒲の里というところで神々を祀り、社殿を造営して「大國主大明神」と称して祀ったのが始めと伝えられています。
霧崎菖蒲の里というのがどこなのかはイマイチはっきりしませんが、ここからそう遠くないところのようです。
そして天養元年(1144年)にこの地へ遷座し「顯國明神」と改称したと伝えられています!
ただ、江戸時代に書かれた『紀伊続風土記』や『紀伊国名所図会』といった地誌は、顯國神社は田村というところから國津神社の神様の分霊を遷してきたと記しています。
現在もここから北西に4km弱のところに「田」という地名のところがあり、そこには今も「國津神社」が鎮座しています。
この國津神社は式内社ではないものの、『紀伊国神名帳』という古い神社の一覧表に載っていることから古い神社です。
時代が下って湯浅が醤油醸造や港町として発展したため、近くの古い神社である「國津神社」から神様を迎えて顯國神社を創建したのかもしれませんね!
そして由緒に登場する坂上田村麻呂は、もしかしたら「國津神社」の鎮座する「田村」に因んだものなのかもしれません!
とはいえ由緒ある神社であることは間違いなく、顯國神社で行われている獅子舞の神事「三面獅子」は和歌山県指定文化財となっています!
顯國神社の地図
「かどや食堂」さんでお昼ごはん!
さてお腹が空いたのでお昼ごはんにしましょう!
訪れたのは湯浅駅の近くにある「かどや食堂」さん!
湯浅は漁業の盛んな港町でもあるので、こちらでは湯浅で水揚げされた紀伊水道の新鮮なお魚を味わうことが出来ちゃいます!
湯浅の名物といえば「しらす」です!
今回は湯浅で水揚げされた新鮮なしらすを用いた「生しらす丼」をいただいちゃいました!
生しらすの風味を損なわないよう、ご飯と生しらすは別盛りで提供される徹底ぶりです!
「かどや食堂」さんの地図
和歌山県有田市へ!
箕島駅近くの「箕嶋神社」へ
湯浅駅から再び電車に乗って三駅戻ります!
下りたところは箕島駅!
有田市の中心にあたる駅です!
箕島駅を下りてちょっと歩いてみた様子。
文房具屋さんや家具屋さん、たばこ屋さんなど様々なお店のある商店街となっています!
箕島駅の近くに「箕嶋(みのしま)神社」という神社があるので行ってみましょう!
二の鳥居と割拝殿をくぐると奥に社殿が建っているので参拝しちゃいましょう!
さて箕嶋神社について。御祭神は「水主大神(みぬしおおかみ)」「素盞鳴尊(すさのおのみこと)」他三柱。
古くこの地は「烏の杜」と呼ばれたようで、箕嶋神社も古くは「水主神社」と呼ばれたようです。
こちらの神社は式内社ではありませんが、『紀伊国神名帳』という古い神社の一覧表に「水主明神」が載っていて、それがこちらの神社であるとも言われています!
ただ、箕嶋神社が本当に「水主神社」と呼ばれていたかははっきりせず、『紀伊続風土記』という江戸時代の地誌も『紀伊国神名帳』に見える「水主明神」は不詳と記しています。
江戸時代には「祇園社」と呼ばれていたようで、京都の八坂神社と同じ神様を祀る神社として信仰されていたようです!
箕嶋神社の地図
由緒ある式内社の「須佐神社」へ
有田市には有田川というとっても大きな川が流れています。
この川沿いの斜面が一面の果樹園となっていてみかんの一大生産地となっているのです!
今回はこの有田川を渡って南東へ向かって歩いていきます。
川を渡って歩いていくとこれまたデカい鳥居が道の途中に建っています!
これは次の目的地である神社の一の鳥居です!
さらに歩いていくと目的地が見えてきました!
こちらの神社の名前は「須佐(すさ)神社」!
須佐神社は山の中腹にあるので鳥居をくぐると石段が続いています。
石段を上りきったところに大きな門のような建物が建っていて、いよいよ神域です!
境内を奥へと進んでいくとこれまた門のような建物が建っています!
この建物は鈴の緒が付いていて、「鈴門」と呼ばれてます。
鈴の緒を設けるための門、というわけですね!
鈴門の奥に拝殿が建っているので早速参拝しちゃいましょう!
拝殿の後方に建っている本殿は正徳元年(1711年)に建てられたもので有田市指定文化財となっています!
さて須佐神社について。御祭神は「素戔嗚尊(すさのおのみこと)」です。
こちら須佐神社は約1100年前に編さんされた法典『延喜式』に載っている神社、つまり式内社です!
しかも『延喜式』には須佐神社は名神大社であるとも記してあるのです!
名神大社とは特に霊験の著しいとされる神社に付与された社格。古く国家の一大事のときには臨時で祈願を行う神社でもありました。
須佐神社はそれだけ朝廷からは重要とみなされた神社だったのです!
戦国時代の戦乱で社記などの記録が失われてしまったようですが、須佐神社は元々は奈良県の吉野地方に鎮座していたと伝えられています。
元々鎮座していたのは吉野地方の「西川峯」というところと伝えられているものの、これがどこなのかははっきりしません。
ただ素盞嗚尊は子の五十猛命(いたけるのみこと)と共に木を植えたことから木の神様ともされていて、吉野の豊富な木々を守護する神様として祀られていたのかもしれません。
そしてその後、和銅六年(713年)にこの地に遷座したと言われています。ここに遷ってきた理由もイマイチはっきりしません。
遷座してきた当初は社殿は海の方、つまり西側を向いていたと言われています。
しかしその先の海を往来する船が転覆してしまうので社殿を今の南向きに変えたと伝えられています!
実は同様に神様の視線の先を通る船が遭難するので社殿の向きを変えた、という神社は全国的にもよく見られます!
さらには海だけでなく、社殿の方向の先に城を建てたら災いがあったために社殿の向きを変えた、という例もあるのです!
このように神様の方向には差し障りがある、という信仰は根強いものがあったようです。
このように海を往来する船に災いをもたらした一方で、須佐神社は海の神様としても信仰されているようです。
さっきの絵馬堂には船を描いた絵馬や船の模型などが奉納されていて、海に関する人々からの信仰が厚いことがよくわかりますね!
また、須佐神社では「夏桃」が神紋となっていて、提灯や扁額などあちこちに桃の文様があしらわれています!
さて、須佐神社は吉野からこちらへ遷ったとき、実は厳密にはこの地でなく、背後の山の上に鎮座したと言われています!
当初は背後の山である「中雄山」の上に鎮座していたのを、いつの頃か中腹の今の地に遷したようですね。
今も山頂には旧地が残っていて、境内から登山道が伸びているので行ってみましょう!
登山道の様子はこのような感じです。
途中ちょっと登りにくい場所もあるので注意が必要です!
15分ほど登っていくと山頂に到着です!
山頂にはこのように石碑があり、ここが須佐神社の当初の鎮座地と言われています!
山頂は景色が開けていてとても良い眺め!
有田川沿いの山の斜面がことごとく果樹園となっている様子がわかりますね!
冬にはここにみかんがたわわに実ることでしょう!
須佐神社の地図
帰路へ
これで今回の目的地は全て巡ったので箕島駅へ戻って大阪へと帰ります!
帰りは和歌山駅での乗り換えが発生します。
とはいえ和歌山駅からの紀州路快速は始発なので余裕で座れちゃいます!
まとめ
このように今回は和歌山市のちょっと南、湯浅町と有田市を巡ってみました!
古い町並みの残っている湯浅は本当に素晴らしいところでした!
醤油で発展したことはもちろん、漁業も盛んなところなので、町の風情に加えてグルメも楽しむことのできる、ほんとうに素敵なところです!
今は静かな町ですが、ポテンシャルは十分にあるためいつか話題になって多くの観光客が訪れるようになるかもしれませんね!
そして有田市の須佐神社!
何てことないところではあるものの、ここにとっても古くて重要な神社があるのは興味深いところですね!
さらに奈良県の吉野地方から遷ってきたとのことで、どうしてこの地に遷ってきたのかなど謎が尽きません!
大阪を拠点にしているとなかなか和歌山市より南に来る機会がありませんが、この辺りも歴史が深くて面白いところだと実感する旅でした!