今回も過去編!大阪府の最北端にある能勢町というところへ行ったときのお話です!
大阪といえば都会のイメージですよね?
ビルの建ち並ぶ梅田や難波といった賑やかな繁華街、そして郊外には交通の便利な住宅街。
多くの人が住んでいて、車が無くても暮らしていけるような便利なところが広がっている感じですね!
しかし実は大阪府全体がそうだというわけではないのです。
大阪は北・東・南の三方が山に囲まれた地形です。
特に北側は交通のかなり不便な山奥になっていて、そこは今でも昔ながらの田舎の風景が残っているのです!
今回訪れる能勢町はそのような場所にあります。
果たして能勢町はどんなところなのか楽しみですね!
目次
大阪府能勢町へ!
能勢電鉄とバスで能勢町入り
まずは阪急電車に乗って川西能勢口駅へ。
川西能勢口駅で能勢電鉄の電車に乗り換えます!
能勢電鉄はその名に反して能勢町には行きません。
そのため途中の山下駅でバスに乗り換える必要があります!
山下駅から能勢町方面へと走る阪急バスに乗り換えて、「汐の湯温泉前」というバス停で降りました。
本当はもう少し先のバス停まで行きたかったところ。
実は今回は阪急・能勢電鉄・能勢町を走る阪急バスが利用できるフリーチケットを使ったのですが、このフリーチケットがこのバス停までしか利用できなかったのです!
とはいえ特に問題無い距離なので今回はここから歩いていきましょう!
棚田百選の一つ「長谷の棚田」へ!
今回訪れたのは9月下旬だったのであちこちで彼岸花が咲いています。
とってもきれいですね!
さてバス停からしばらく西の方へと歩いていくと長谷(ながたに)というところへと至ります。
ここには写真の通り見事な棚田が広がっています!
大阪とは思えないような、とてものどかで美しい光景ですね!
この能勢町の「長谷の棚田」は農林水産省によって「日本の棚田百選」にも選ばれています!
大阪府内のみならず全国的にも貴重な光景と言うことができますね!
ここ長谷では茅葺の民家もところどころで残っていて、これもまたのどかな雰囲気をかもしだしています!
長谷の棚田の地図
古い式内社の一つ「岐尼神社」へ
長谷の棚田から東の方へと一旦戻ります。
途中の景色はこのような感じ。田圃が広がっていて奥には低い山並みが連なるのどかな風景ですね!
しばらく歩いて森上(もりがみ)というところへやってきました。
この辺りは道路沿いに家屋が並んでいてちょっぴり賑やかなところです。
ここ森上地区には次の目的地である「岐尼(きね)神社」が鎮座しています!
鳥居をくぐると奥の石垣上に社殿が建っているので早速お参りしちゃいましょう!
後ろの本殿は覆屋の中に納められて完全防御されていました。
この辺りもよく雪が降ったりするのでしょうか?
さて岐尼神社の御祭神は「瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)」「天児屋根命(あめのこやねのみこと)」「枳根命(きねのみこと)」「多田満仲(ただみつなか)」の四柱です。
岐尼神社は1100年前に編さんされた法典『延喜式』に載っている神社、つまりおなじみ式内社です!
伝承では、昔南方にある小さな丘に神様が降臨して、土地の人々が臼の上に杵を渡し荒菰を敷いて神様を迎えたと伝えられています。
これに因んでかつては「杵宮」と呼ばれていたりもしたようです。
神社に伝わる古い神像に「瓊々杵大明神」と書かれているようで、古くから瓊瓊杵尊を祀っていたようです。
ただ当初から祀っていたかはイマイチはっきりせず、元々どのような神様が祀られていたかはわかりません。
とはいえ能勢町で有数の神社であることは間違いなさそうです!
岐尼神社の地図
土器に関係がある?「久佐々神社」へ
森上から東へと歩いていき、宿野(しゅくの)というところへやってきました。
ここには能勢町役場があり、こちらも能勢町の中では比較的賑やかな一帯となっています。
とはいえ商業地域があるわけでもなく、やはりのどかな田舎の集落といった印象ですね。
ここ宿野に次の目的地「久佐々(くささ)神社」が鎮座しています!
境内の入口には杉などの立派な木が生い茂っていてすごい迫力です!
鳥居をくぐって参道を進んでいくと神門が建っており、これをくぐると広場に社殿が建ち並んでいます。
拝殿は京都に多い舞殿のような形式ですね!
このような拝殿は京都を中心に丹波地域でもよく見かけるもので、やはり能勢は丹波に近い土地柄であることがここからもうかがえます。
拝殿からちょっと離れたところに本殿と拝所が建っています。
この辺りも京都の神社の特徴ですね!
鈴の緒と賽銭箱はこちらにあるので参拝しちゃいましょう!
さて久佐々神社について。御祭神は「賀茂別雷神(かもわけいかづちのかみ)」。
こちらの神社も『延喜式』に記されている式内社です。
神社の社名にもある「クササ」は実は『日本書紀』に載っています。
それによれば、雄略天皇十七年のこと、朝廷で用いる食器を奉献せよとの命があり、これを受けて摂津国の来狭狭(クササ)村などにいる土器を作る職人を奉献して、彼らを「贄土師部(にえのはじべ)」と称した、とあります。
クササとはこの辺りの地名で、かつてはここで土器を作っていた人々がいたようです。
久佐々神社もこうした土器を作っていた人々が祀っていた神社だったのかもしれませんね!
ちなみに今の御祭神が賀茂別雷神なのは、かつて能勢郡の郡司となった人が賀茂氏と同族なので後に賀茂の神が迎えられたとも言われています。
やはり元々は別の神様が祀られていた可能性が高いと言えそうですね!
久佐々神社の地図
二つの峠
名月峠
久佐々神社から次の目的地へはちょっと離れていて、二つの峠を越えた先にあります。
能勢町はあちこちに山があるので峠もたくさんあります。
今回は南東へ歩いていき、まず「名月(めいげつ)峠」というところを越えていくことにします。
峠道へ差しかかる手前は収穫前の田圃が黄金色に輝いていました。
名月峠は舗装された歩きやすい峠道ですが、峠の頂上付近から道が分かれているのでこちらをちょっと進んでみましょう。
ここを進んでいくと三基の石塔が並んでいます。
これは「名月姫」と呼ばれる人物のお墓と伝えられています!
名月姫という人物については次のような伝説があります。
昔、摂津国御園荘浜村(現在の尼崎市)に住む三松国春という領主が子宝を授かろうと大日如来に祈願したところ、中秋の名月に娘が生まれた。
この娘は名月姫と名付けられ、美しく育った姫はこの地の能勢家包(のせいえかね)という人物のもとへ嫁ぐことになった。
夫婦は仲睦まじく暮らしていたが、姫の美しさを聞きつけた平清盛に見初められ、平清盛の権力に抗うことができず二人は離別することになった。
名月姫は能勢を去り清盛のいる福原へ向かうことになったが、能勢氏への貞操を守るため、道中この峠で自害してしまった。
名月姫墓所の地図
猪ノ子峠
名月峠を越えると下田尻という里へと至ります。
下田尻からさらにもう一つ峠を越えていきます。
こちらの峠は「猪ノ子峠」。舗装されておらず、ハイキングコースのような感じですね!
猪ノ子峠を越えると野間(のま)というところへと至ります。
ここまで来れば目的地はすぐそこです!
国の天然記念物「野間の大けやき」へ
峠を越えてしばらく進むととっても大きな木が見えてきます!
これはケヤキの木で、「野間の大けやき」として国の天然記念物に指定されています!
この幹もとっても大きいですね!
樹齢1000年以上、幹周りは14m、高さは30mにもなる超巨大な木で、大阪府では最大、全国でも四番目に大きなケヤキです!
このケヤキのあるところはかつては神社の境内で、その神社は「蟻無宮(ありなしのみや)」と呼ばれていました。
蟻無宮は紀貫之を祀っていたとも言われており、境内の砂を持ち帰って畑や庭に撒いておくと蟻が退散すると言われていました。
現在も幹には注連縄がかけられていて、御神木として大切にされています!
野間の大けやきの地図
物部氏ゆかり!?「野間神社」へ
野間の大ケヤキから少し北へ歩いて地黄(じおう)というところへやってきました。
こちらも田圃が黄金色に色づいてきれいですね!
ここ地黄には最後の目的地である「野間(のま)神社」が鎮座しています!
岐尼神社や久佐々神社は山の麓といった場所に鎮座していましたが、こちらは平地の田圃の中といった立地です!
鳥居をくぐると正面奥に拝殿が建っているのでさっそくお参りしちゃいましょう!
拝殿の後方に建っている本殿もなかなか立派なもの。
さて野間神社について。御祭神として「饒速日命(にぎはやひのみこと)」など五柱の神々を祀っています。
こちらの野間神社も岐尼神社や久佐々神社と同じく『延喜式』に載っている式内社です。
そしてこちらの神社は奈良県天理市にある「石上神宮」ととっても関係が深く、伝承では推古天皇十三年(605年)に石上神宮から勾玉を奉斎したのが創建と伝えられています!
石上神宮は#013でも訪れたとっても大きな神社で、物部氏という古代に大きな権力を持っていた人たちが神官として祀ってきたところでしたね!
こちら野間神社も物部氏ゆかりの神社です。物部氏の一族に「野間連(のまのむらじ)」という人々がいて、彼らがここに住んで野間神社を祀ってきたと考えられているのです!
御祭神である饒速日命も物部氏の祖神とされている神様ですね!
一方で平安時代後期にはここで銅が採掘されたといい、その責任者である佐伯氏が神主となっていたようです。
早くもその頃には物部氏の一族はいなくなってしまったのかもしれませんね。
野間神社の地図
帰路へ
今回はこれで全ての目的地を訪れることができたので帰ることにします。
帰りは野間神社の近くにある地黄局前というバス停から。
この辺りが地黄地区の中心で結構家屋の多いところとなっています。
地黄など能勢町の東部地域は能勢電鉄の妙見口駅がバスの拠点となっています。
そのためバスで妙見口駅へ向かい、そこから帰ります。
能勢電鉄の妙見口駅から山下駅の間は単線でローカル線の雰囲気があります。
阪急電車と同じような電車が田舎の風景を走るのはちょっと違和感がありますね!
終点の川西能勢口駅で阪急電車に乗り換えて梅田方面へと戻りました!
まとめ
今回はこのように大阪府でありながらとってものどかな光景の広がる能勢町を巡ってみました!
大阪府にもこのように開発とは無縁の昔ながらの光景が残っているのです!
今回は二つの峠越えがあったためなかなか大変ではありましたが、あまり訪れる機会のないところを訪れることができてとても楽しい一日でした!
身近なところにもまだまだ意外な景色が残っているかも、と思わせられる一日でもありました!
他にもそういうところがないか探ってみるのも面白いかもしれませんね!