今回も過去編!今回は京都の嵐山へ行ったときのお話です!観光地として有名ですね!
まず最初に、みなさんが「嵐山」と聞いて思い浮かべるのはどのあたりでしょうか?
恐らく上のような感じじゃないかなーって思います。
JR嵯峨嵐山駅や嵐電の嵐山駅があって、その近くには天龍寺や野宮神社など名だたる寺社がたくさん!
そんなイメージが多くの方にあると思います。
でも実はこれ、厳密には間違っているのです!
正しくは下のような感じになります!
みなさんが「嵐山」と聞いて想像する一帯は、実は本来は「嵯峨」と呼ばれる地域なのです!
ではそれに対して「嵐山」はというと、その嵯峨から桂川を渡った向こう側、桂川の右岸側(南側)になるのです!
阪急電車の嵐山駅のある辺りですね!
つまりJR・嵐電・阪急の「(嵯峨)嵐山駅」の中で、本当に「嵐山」にあるのは阪急電車だけなのです!
元々はその背後の山を「嵐山」と呼んでいたのを、より広い範囲で呼ぶようになったのです。
今でもGoogleマップでは背後の山に「嵐山」っていうマーカーがありますね!
今回は本来の意味での「嵐山」、つまり桂川の右岸側を中心に、観光地からちょっと外れたところにある神社を巡ってみたいと思います!
どんな旅になるのか楽しみですね!
目次
京都の嵐山へ!
ますは阪急電車の松尾大社駅へ
大阪から嵯峨・嵐山へ行く場合、阪急電車を使うのが最も楽です!
大阪梅田駅から京都河原町行きの特急(もしくは快速急行)に乗り、桂駅で嵐山行きの電車に乗り換えます!
阪急嵐山線は阪急電車には珍しい単線で、ちょっとしたローカル線の雰囲気もありますよ!
今回は終点の一つ手前、松尾大社駅で降りました!
京都最古の神社とも言われる「松尾大社」へ
駅を降りてすぐに最初の目的地の鳥居が建っています!
そう、駅名にもある通り「松尾大社」です!
最初の鳥居から道を進んでいくと二の鳥居が建っており、ここが境内の入口となります。
そしてこの二の鳥居、よく見てください!
鳥居に掛かっている注連縄に何やら房状の束がいくつかぶら下がっていますね!
これは「脇勧請(わきかんじょう)」と呼ばれるもので、榊(さかき)の束が12個吊り下げられています。
かつて月々の農作物の出来を占ったものを残していると言われているそうですよ!
二の鳥居をくぐると楼門形式の神門が建っています!
神門をくぐるととっても広い境内となっています!
そして正面奥には大きな拝殿が堂々と建っています!
この拝殿は上から見ると正方形になっており、舞や神楽などを行うための舞殿に近い構造になっています。
実は京都府の神社の拝殿はこのように舞殿のような構造になっているものがとっても多いんです!
宇治を巡った#012でも出てきましたね!
拝殿の後ろに本殿を囲う垣があり、その正面中央に拝所があります。
早速この拝所で参拝しちゃいましょう!
ちなみに垣で囲まれていてあまり見えませんが、本殿は応永四年(1397年)に建立、天文十一年(1542年)に改修された貴重な建築で国指定重要文化財となっています!
さて松尾大社について。御祭神は「大山咋神(おおやまぐいのかみ)」「中津島姫命(なかつしまひめのみこと)」の二柱です。
松尾大社は1100年前に編さんされた『延喜式』に載っている神社、つまりおなじみ式内社です!
さらに式内社の中でも重要な神社である名神大社にも列せられています!
さらにさらに、国家の一大事のときに特別に朝廷から祈願が行われたとっても重要な22の神社「二十二社」の一つでもあるのです!
松尾大社の歴史は極めて古く、一説には“京都最古の神社”であるとも言われています!
社殿の背後にそびえる「松尾山」という山に岩石があり、これを磐座として神様を祀ったのが松尾大社の原初の祭祀だと言われています!
そして五世紀頃、大陸から「秦(はた)氏」と呼ばれる高度な技術を持った人々が日本へ渡来してきて各地を開拓していきました。
その秦氏の拠点がこの辺りで、当時は桂川が頻繁に氾濫する湿地帯でしたが、彼らが持ち前の技術力で治水を行って開拓することで徐々に住みよい地へとなっていったようです。
この秦氏が松尾山の神様を守護神として祀るようになり、引き続き磐座で祭祀が行われたようです。
そして大宝元年(701年)には秦氏の「秦忌寸都理(はたのいみきとり)」という人物が松尾山の磐座から現在の地に神様を遷して、初めて社殿を造営したと言われています!
それ以来、今に至るまでずっとこの地で祭祀が行われてきているのです!
深い歴史のある神社なので他にも多くのことを解説したいところですが、とっても長くなってしまうので詳細は姉妹サイト『神社巡遊録』の「松尾大社」の記事をご覧くださいね!
松尾大社の境内は庭園もあり有料で拝観できちゃいます。
そして何と言ってもこの庭園には「神像館」が併設されていて、ここは是非とも訪れるべきところです!
松尾大社にはとっても多くの神像が伝えられていて、それらがここで拝観できちゃうんです!
中でも平安時代初期の作と言われている三体の神像は最古級の神像と言われていてとっても貴重なものです!
御神体として祀られる神像は普段あまり目にする機会がないので、これを拝観できるという意味でも貴重ですよ!
また松尾大社はお酒の神様としても信仰されていて、今も多くの蔵元から厚い崇敬を受けています。
境内には蔵元から奉納されたたくさんの酒樽が並べられていて圧巻です!
これに関連して境内には「お酒の資料館」という施設があります。
お酒の歴史や文化、酒造りの方法や道具などが展示されていて、お酒に関する様々なことを学ぶことが出来ちゃいます!
入館無料なので休憩がてら入って見るのもいいのではないでしょうか。
松尾大社の地図
月の神様を祀る「月読神社」へ
松尾大社から南へと歩いて行くと朱色の鳥居が目立つ神社があります。
こちらの神社の名前は「月読(つきよみ)神社」!その名の通り月の神様を祀る神社なのです!
鳥居をくぐって石段を上ると神門があるので、ここをくぐって境内へと入ります!
境内に入って左側に社殿が建っています。
手前側には京都府でおなじみ、舞殿風の拝殿!
拝殿の後方には本殿が建っています。
こちらの神社は本殿に直接参拝する方式です!
さて月読神社について。御祭神は月の神様である「月読尊(つきよみのみこと)」。
日本神話では天照大神(あまてらすおおみかみ)や素盞嗚尊(すさのおのみこと)と同時に生まれた神様ですね!
こちらの月読神社の『延喜式』に記された式内社で、しかも名神神社です!
そしてこちら月読神社の創建の事情は『日本書紀』に載っています!
ちょっと長いので大まかなあらすじを記すと次の通りです。
『日本書紀』
顕宗天皇三年二月一日
阿閉事代(あえのことしろ)という人が任那(みまな / 朝鮮半島南部)に派遣された。
このとき、月の神がある人に神がかりして「月神である我を祀れば福があるだろう」と言った。
阿閉事代が京に戻ってこのことを報告して、歌荒樔田(うたあらすだ)というところに月神を祀った。
壱伎県主(いきあがたぬし)の先祖である押見宿禰(おしみのすくね)という人物が神主を務めた。
このように神託によって月の神様を祀ったことを記しています。
この神様を祀ったという歌荒樔田の場所ははっきりしませんが、現在地の東側だったとも言われています。
そして『文徳実録』という歴史書には斉衡三年(856年)に水害があったので月読社を松尾山の南麓に遷したと記しています。
この時に歌荒樔田から現在地に遷った、ということですね!
そして壱伎県主の先祖が神主を務めたとする点も重要です。
壱伎県主とは現在の長崎県の壱岐島を支配した人々です。そして壱岐にも「月読神社」という式内社(しかも名神大社)があるのです!
壱岐には占いの技術に秀でた人々がいたとされていて、特に月の満ち欠けによって暦を知ることは占いには重要でした。
また月の満ち欠けが潮の流れと連動していることから、航海を行う人々にとっても月の満ち欠けで暦を知る事は重要だったのです。
阿閉事代が朝鮮半島へ渡るときに月の神様から神託があったように、壱岐は朝鮮半島へ渡る中継地です。つまり航海に携わる人たちが拠点にする場所なのです!
このような背景があることから、壱岐に月の神様が祀られたのは必然だったのでしょう。
この壱岐で祀られていた月の神様が神託によって京都にも祀られるようになった、それがこの月読神社だったというわけです!
月読神社の境内には「月延石(つきのべいし)」というものがあります。
この石を撫でて社務所で授与している祈願石を奉納すると安産や子授けに霊験があると言われています。
女性機能もまた月の満ち欠けと連動しているので安産や子授けも月の神様が守ってくださる、というわけですね!
月読神社の地図
詳細:『神社巡遊録』月読神社(京都府京都市西京区松室山添町)
橘氏ゆかりの「梅宮大社」へ
一旦松尾大社へと戻り、そこから桂川に架かる橋を渡ります。
淀川に流れ込む三大河川の一つ。とっても大きな川ですね!
桂川は昔は頻繁に氾濫が発生していたので、この辺りを拠点にした秦氏はこの川に堤を築くなど治水にも力を入れたと言われています!
桂川を渡ってしばらく進んでいくと左側(北側)に次の目的地となる神社があります。
こちらの神社は「梅宮(うめのみや)大社」です!
鳥居をくぐるとこれまた立派な楼門形式の神門が建っています!
神門をくぐると境内の中央に社殿が建っています。
手前側にはやはり京都ではおなじみ、舞殿風の拝殿が堂々と建っています!
拝殿の後ろに拝所があるので早速お参りしちゃいましょう!
さて梅宮大社について。御祭神は「酒解神(さかとけのかみ)」、「酒解子神(さかとけこのかみ)」、「大若子神(おおわくこのかみ)」、「小若子神(こわくこのかみ)」の四柱です。
こちら梅宮大社も『延喜式』に載っている式内社、そして名神大社です!さらに松尾大社と同様に二十二社の一つでもあるのです!
梅宮大社は「橘(たちばな)氏」という人々が氏神として祀ってきた神社です。
みなさんは「源平藤橘(げんぺいとうきつ)」という言葉を聞いたことがありますでしょうか?
かつて有力だった四つの氏族、つまり「源氏」「平氏」「藤原氏」「橘氏」の四氏の総称です!
でも源氏と平氏と藤原氏は有名ですが、橘氏についてはあまり知られていないのではないでしょうか。
橘氏は奈良時代の「橘諸兄(たちばなのもろえ)」という人物を祖とする氏族。
この人物はとっても優秀な政治家で、とっても高い官位を得て大きな権力も持っていました!
しかしこの後の橘氏は政争に敗れてしだいに没落していきます。
ところが平安時代になると、諸兄の曽孫にあたる「橘嘉智子(たちばなのかちこ)」という女性が嵯峨天皇の皇后となり、橘氏はその外戚氏族として再び権力を振るうようになるのです!
橘氏は元々は京都府南部の井手町というところを本拠としていました。
橘氏の氏神も元々はそこで祀っていたようですが、その後に都のあった奈良に、さらに平安京遷都後には橘嘉智子が今の地に遷したと言われています!
この梅宮大社が二十二社の一つに加えられたのも橘氏が外戚氏族として力を持っていたことによるのでしょう。
ただその後の橘氏は勢力が衰えていったようで、梅宮大社の祭祀も細々としたものになっていったようです。
梅宮大社が今の地に遷された経緯や御祭神の解説など、より詳しく知りたい方は姉妹サイト『神社巡遊録』の「梅宮大社」の記事も併せてご覧くださいね!
梅宮大社もまた松尾大社と同様、お酒の神様として蔵元から崇敬を受けています。
入口にある神門にはこれまたたくさんの酒樽が並べられています!
また梅宮大社の境内にはとっても広い神苑があります。
有料で拝観することができ、四季折々のお花を楽しむことができちゃいます!
訪れたときは紫陽花と花菖蒲がきれいに咲いていました!
梅宮大社の地図
詳細:『神社巡遊録』梅宮大社(京都府京都市右京区梅津フケノ川町)
桂川の守護神?「櫟谷宗像神社」へ
松尾大社駅に戻って、阪急電車で終点の嵐山駅へと移動します。
嵯峨・嵐山の観光の拠点となる駅です!
嵐山観光でおなじみの渡月橋には渡らず、そのまま桂川沿いにしばらく歩いて行くと「櫟谷宗像(いちたにむなかた)神社」という神社があります。
こちらが次の目的地!
今回は行きませんが、こちらの神社はたくさんの野生の猿とふれあえる「嵐山モンキーパーク」の入口にもなっています。
入口から石段を上っていくと朱塗りの灯籠や鳥居が建っていてとても風情ありますね!
鳥居をくぐった先に社殿が建っています!
境内は広くなく、拝殿もありません。このように本殿前に拝所が建っている小さな神社となっています!
さて櫟谷宗像神社について。こちらは「櫟谷神社」と「宗像神社」という二つの神社が一つになった神社です!
御祭神は櫟谷神社の方が「奥津嶋姫命(おきつしまひめのみこと)」、宗像神社の方が「市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)」です。宗像三神(宗像大社に祀られる三柱の女神)の内の二柱がそれぞれに祀られていることになります。
そして櫟谷神社の方は『延喜式』に載っている神社、つまり式内社でもあるのです!
ただこの櫟谷神社の由緒ははっきりしません。宗像神が水神であることから、もしかしたら桂川の水の流れを守護するために祀られた神社だったのかもしれませんね!
櫟谷宗像神社の地図
詳細:『神社巡遊録』櫟谷宗像神社(京都府京都市西京区嵐山中尾下町)
渡月橋すぐそばの小さな神社「大井神社」へ
さて桂川にかかる大きな橋「渡月橋」を渡っちゃいます!
車も通れますが欄干が木造になっていてとっても風情のある橋ですね!
これはまた違う時に訪れた写真ですが、秋に訪れると渡月橋からこのようにとっても美しい紅葉を眺めることができます!
ここから見える山が本来の「嵐山」です!この風光明媚な景色が有名になって周辺の地名にもなり、さらに対岸の嵯峨をも嵐山と呼ぶようになったわけですね!
さて渡月橋を渡って「嵯峨」側へ。渡月橋の北詰は嵯峨・嵐山エリアで最も観光客の集まるとっても賑やかなところです!
そして人が多く集まるこの一角に、ほぼ全ての人がスルーしてしまう神社があるのです!
この神社の名前は「大井神社」。その参道は路地裏といった感じで、レンタサイクルの自転車置き場にもなっています。
参道を進んでいくとひっそりと社殿が建っています。
拝殿は無く、鳥居と本殿が建っているだけのとっても小さな神社ですね!
さて大井神社について。御祭神は「宇賀霊神(うがみたまがみ)」。お稲荷さんと同じ神様ですね!
実はこの大井神社、『延喜式』に記されている式内社でもあるのです!
ただその由緒ははっきりしません。
桂川は「大堰川(おおいがわ)」とも呼ばれ、櫟谷宗像神社と同様にこの大堰川の守護神として祀られたのかもしれません。
またあるいは秦氏の築いた大堰川の堰に関係があるとも言われています。
大井神社の地図
詳細:『神社巡遊録』大井神社(京都府京都市右京区嵯峨天龍寺造路町)
絶景が楽しめる嵐山公園と小倉山へ
渡月橋の北詰から桂川沿いに西へと歩いて行くと嵐山公園の亀山地区があります。
嵐山公園は中之島地区と亀山地区の二ヶ所に分かれていて、渡月橋の南詰にある中州の中之島地区は観光客でごった返しますが、こちら亀山地区はそれほど観光客は訪れません。
嵐山公園の亀山地区は高低差の大きなところで散策するにはちょっと大変。
しかしこの西側には展望所があり、桂川の形成した美しい渓谷である保津峡を眺めることができちゃうんです!
この保津峡に沿ってトロッコが走っていたり、上流の亀岡から船で下る保津川下りが行われたりと、観光客に大人気の渓谷です!
嵐山公園亀山地区展望所の地図
さて今回はさらに奥へと進んでみましょう!
亀山地区のさらに西側に「小倉山」という山があり、ここを登っていきます。
上の写真は登山道の入口なのですが、ここまで来るともう観光客は全くいません!
15分ほど登っていくと何やら丸太で出来たベンチがいくつか並んでいるのが見えてきます。
ここが今回の目的地です!
ここは展望所となっていて、ベンチに腰掛けると東側の京都盆地の様子が見渡すことができちゃいます!
手前には桂川、そして奥には東山が見えますね!
風光明媚な京都もびっしりと宅地化されていて、やはり150万人が暮らす大都会だということがよくわかりますね!
さらにちょっと裏側へ回ると今度は北側が開けています!
化野念仏寺のある鳥居本や大覚寺などがあるエリアを見渡すことができちゃいます!
こちらはさっきと違ってのどかな雰囲気が漂っていますね!
小倉山展望所の地図
帰路へ
さて今回はちょっと早めにこれで帰ることにします。
小倉山を下りて渡月橋を渡り、阪急電車の嵐山駅へ。
行きと同じ経路で大阪へと帰ります!
まとめ
今回は国内屈指の人気観光地、京都の嵐山(とちょっぴり嵯峨)を巡ってみました!
嵐山といえば有名な観光地ですが今回は定番観光地からちょっと外れたところが中心でした。
こういうところに意外に古い神社があったのはやっぱり京都らしいですね!
今回のようにあえて京都の定番じゃないところを巡ってみても面白いものですよ!