先日、4月8日に18きっぷを使って岡山市の中区へ行ってきました!
前々回に続いて岡山県の旅!
今回は岡山市の都心の少し手前あたりを巡ってみました!
今では岡山のベッドタウンとして宅地化されていますが、実は古い歴史のあるところ。
しかも意外にも貴重な自然が残っていたりもするところです!
どんなところか楽しみですね!
目次
岡山県岡山市へ!
まずは東岡山駅へ
今回は18きっぷの五回目。最後の一回分なので悔いの残らないようにしなければなりませんね!
前々回は早めに姫路駅に着きたかったため快速電車に乗りましたが、今回はさほど早い必要はなかったので新快速に乗車。
今回は赤穂線というローカル線を使って行くので、姫路駅から播州赤穂駅へ向かいます。
播州赤穂駅に着いたときに待っていたのが上の写真の電車!
この緑とオレンジのカラーリングは「湘南色」と呼ぶそうです。
岡山あたりは古い電車が多いのですが、加えてこの湘南色は昔ながらの由緒正しきカラーリングで今ではレアなんだとか!
車内も昔のまんま!
この向かい合わせに座る椅子は「ボックスシート」というのだそう。
昔の田舎の電車はほとんどがこの椅子だったそうで、旅情がそそられますね!
ここで姫路駅で買った駅弁をいただいちゃいましょう!
今回買ったのは「あなごめし」!
古い電車のボックスシートで食べる駅弁はまさに格別です!
赤穂線で電車に揺られること一時間ちょっとで山陽本線と合流し、10:20に東岡山駅に到着!
歴史ある式内社の「大神神社」へ
東岡山駅を下りて少し西へ進み、途中で北へ曲がります。
いかにもベッドタウンといった感じの住宅地を進んでいくと…
このように唐突に鳥居が現れます!
実はこれはこれから向かう神社の鳥居。このように境内から離れたところに一の鳥居があるのです。
鳥居の前に配置されている狛犬をよくご覧ください。茶色っぽい色をしていますよね?
実はこれ、備前焼でできているのです!
備前焼は備前市の伊部(いんべ)地区で古くから生産されている焼き物で、渋い赤茶色なのが大きな特徴です。
岡山県ではこのように備前焼でできた狛犬を多く見かけることができます。
さっきの鳥居からさらに道を進んでいくと、四御神(しのごぜ)というところに一つ目の目的地「大神(おおが)神社」が見えてきます!
この神社は式内社、つまり約1100年前に編纂(へんさん)された『延喜式』という法典に記された神社の一つです。
鳥居と神門をくぐって参拝しましょう!
大神神社の御祭神は「大物主神(おおものぬしのかみ)」「少毘古那神(すくなひこなんかみ)」「三穗津姫神(みほつひめのかみ)」 「大穴牟遅神(おおなむちのかみ)」の四柱。
四御神という地名はこの四柱の神様に因むのだそうです!
この神社は奈良県桜井市の「大神(おおみわ)神社」から神様の分霊を迎えたと言われています。
奈良の大神神社といえば本殿がなく背後の三輪山を神体山としている神社として有名ですね!
こちらでは本殿はあるものの、古くから奈良の大神神社と同じ神様を祀っているようです。
大神神社の地図
古代寺院「賞田廃寺」とアユモドキのいる水路
次の目的へ向かう途中、賞田(しょうだ)というところへ。ここに古代寺院の跡地があり、「賞田廃寺」と呼ばれています。
七世紀中頃の飛鳥時代に大規模な伽藍が整備され、奈良時代には全盛期を迎えたことが発掘調査からわかっています!
そしてその後は衰微しつつも鎌倉時代頃までは存続していたようです。
このお寺は文献には一切登場せず、本来どのような名前だったかもはっきりしません。
ただ、この地を拠点とした「上道(かみつみち)氏」という豪族の氏寺だったことが推測されていて、古代の吉備の中心の一つだったとも考えられています。
賞田廃寺は金堂の手前左右に東塔と西塔の二つの塔が建ち、左右対称ではなく東塔が西塔に比べて金堂に近い位置に建っていたことが大きな特徴です。
基壇に凝灰岩が用いられていることも大きな特徴で、これは畿内の有力な古代寺院に見られる格式の高い方式で、地方では珍しいのだそうです。
上の写真は金堂跡から南側を見た様子。
ちょっと小高いところに金堂があって、南側の平野をよく見渡せるところだったことがよくわかりますね!
賞田廃寺の地図
賞田廃寺の前を流れている川は「祇園用水」といって、江戸時代に稲作のために旭川から引いて造られた水路です。
一見何の変哲もない水路ですが、この水路、実はとっても貴重なんです!
実は国の天然記念物に指定されている「アユモドキ」という魚の住む数少ないところなんだそうです!
アユモドキはその名に反してアユとは程遠いドジョウの仲間で、かつては琵琶湖などでも見られたそうですが、今では岡山県と京都府亀岡市くらいしかいないそう。
水路を覗いてみると、アユモドキの姿は見えませんでしたがたくさんの鯉が泳いでいました。
普段は岩などの陰に隠れていてなかなか人前に姿を見せないそうです。
実は偶然にもつい先日、3月27日にNHKで放送された『ダーウィンが来た!』でこの水路のアユモドキが特集されていました!(リンク: https://www.nhk.jp/p/darwin/ts/8M52YNKXZ4/episode/te/N563LG83K7/ )
それによれば、梅雨時にはこの休耕田に水を入れ、アユモドキがここにやってきて産卵するのだそうです。
そしてアユモドキがちゃんと産卵・孵化して成長できるよう、地元の方々が手入れしているのだそうな。
元々アユモドキは田圃など人の営みのすぐ近くに生息していた魚です。
だからこそ人が適切に手を加えることによって貴重な生態が守られている、というわけですね!
水路には「ここは貴重なアユモドキがいるので採ってはいけませんよー。採ったら罰金ですよー」と示した看板が数多く設置されています。
面白いものでは、アユモドキを餌にするカワウやサギといった野鳥に対して立入禁止と警告する看板もありました!
水路沿いを歩いていると水車がありました!
水車にも色んなタイプがあるのですが、この水車は水流で回転させることで水を高いところへ自動的に汲み上げるもの。
今は汲み上げた水をそのまま垂れ流しているだけですが、田植えの時期にはこれを田圃につないで水を引くのです。
今ではポンプなどを使うことが多いものの、岡山県では今でもこのような昔ながらの水車がよく使われているのです!
神武天皇ゆかりの「高島神社」へ
水路沿いに歩いて行くと、賞田地区の西端に丘の上へと登る道があり、二本の石柱が建っています。
実はここが二つ目の目的地「高島神社」の入口なのです!
注連柱の先は鬱蒼とした森。
この中をぐんぐん進んでいきます。
この道を進んでいくと、丘の上はやや開けたところになっており、この一番奥に高島神社の社殿が建っています!
社殿とはいっても拝殿などはなく、ただ本殿が建っているのみ。
高島神社の御祭神は「神武天皇」。
『古事記』や『日本書紀』によれば、イワレヒコ(後の神武天皇)が天下を治めるために九州の日向(今の宮崎県)から大和(今の奈良県)を目指して東へ向かった際、途中の吉備国(現在の岡山県全域と広島県の東部)の高島宮で留まって船を修理したり兵糧を蓄えたりしたことが記されています。
ちなみに『古事記』では8年間、『日本書紀』では3年間、高島宮に留まったとあります。
この『古事記』や『日本書紀』に記されている「高島宮」がどこなのかは諸説あるのですが、その候補地の一つがここなのです!
社殿の近くには神武天皇ゆかりの地であることを顕彰して「吉備高島宮址」と刻まれた石碑が建っていました。
高島神社の地図
備前国内の神々を祀る「備前国総社宮」へ
高島神社から少し北西へと歩いていくと、祇園というところに三つ目の目的地「備前国総社宮」があります!
かつて律令制が行われていた時代、国司が着任するとまず最初にその国内の各地にある神社を巡拝するのが大事な仕事でした。
しかしこれでは国司の負担があまりに大きかったため、次第に効率化のため、国府(※後述)の近くに国内の神社の神を合祀した「総社」を創建することになります。
つまり国司はこの「総社」にお参りすることで、各地の神社を巡拝するのと同じ役目を果たしたのです!
そしてこの神社は備前国(現在の岡山県南東部)の「総社」なのです!
鳥居をくぐると神門が続き、その先に拝殿が建っています。まずはお参りしましょう!
後ろの本殿もピカピカの真新しい印象ですね!
この神社では「大己貴命(おおなむちのみこと)」「須世理姫命(すせりひめのみこと)」に加えて、備前国内の128社もの神様を祀っています!
『備前国神名帳』という国司がお参りすべき神社のリストが伝わっていて、そこに記されている128の神社の神様を合祀しているのです!
中世以降の総社の来歴は国によってまちまちで、そのまま地域の中で信仰を集めて今も残っているところもあれば、いつしかなくなってしまったところもあります。
岡山県内では総社市にある「備中国総社宮」が有名ですが、備前国でもこのように現在も残っているのです!
ところで備前国総社宮の境内にこのようなものがありました。
これは「社日塔」と呼ばれるもので、地元では「地神さん」と呼ばれています。
五角柱の石塔のそれぞれの面に「天照皇大神」「大己貴命」「埴安媛命」「倉稲魂命」「少彦名命」の神様の名が刻まれています。
江戸時代中期以降に広まったもので、春と秋の社日(春分・秋分に最も近い戊(つちのえ)の日)に祀って、春には豊作を祈り、秋には収穫を感謝したようです。
西日本では岡山県や香川県、徳島県、淡路島などでよく見かけるもので、同様のものは遠く離れた神奈川県でも見ることができるそうです。
備前国総社宮の地図
備前国府の跡とされる「国長宮」へ
備前国総社宮から南へと歩いていくと国府市場(こくふいちば)というところがあります。
この国府市場の西端に四つ目の目的地「国長宮(こくちょうぐう)」があります!
鳥居をくぐってまっすぐ進むと小さな社殿が建っています。
まずはお参りしましょう!
拝殿の後ろに建っている本殿も小さなもので、まるで祠といった印象。
こちらの神社の御祭神は「大年神(おおとしがみ)」「若年神(わかとしがみ)」の二柱。
国長宮の社名は「国庁」に由来するといい、律令制が行われていた時代に備前国の国府の建物がここにあったと言われています!
国府とはかつての令制国(ここでは備前国)の政治の中心地。朝廷から各国へ派遣された国司が仕事をした場所のことです。
平安時代の記録では備前国府はこことは別の地にあったと記されていますが、「国府市場」の地名や先ほど訪れた備前国総社宮の存在などから実際にはこの辺りだったと考えられています。
上の写真のように国長宮の境内はとても広く、確かにここに国府の建物、つまり国庁があったと思わせるような空間です。
ただ、遺構などが検出されておらず、正確にこの場所が国府だったかどうかははっきりしないそう。
近年はここより少し東側あったのではないかとも言われていますが、少なくともこの付近だったことは間違いなさそうです!
加えて近くには賞田廃寺といった大規模な古代寺院跡もあり、まさしくこの辺りはかつて備前国の中心だったのです!
国長宮の地図
帰路へ
これで今回の目的は全て果たせたので、まだ少し早かったけれど大阪へと帰ります。
帰りは東岡山駅の隣、高島駅から!
高島駅から乗った電車は行きと同じく湘南色のものでした!
終点の播州赤穂駅で一旦降りて、駅近くにある和菓子屋「かん川本舗」さんへ立ち寄りました。
ここで名物の「塩味饅頭(しおみまんじゅう)」通称「志ほ万」を購入!
早速電車の中で食べてみると、これがめちゃくちゃおいしい!
プレーンと抹茶味があり、生地は干菓子のような歯ごたえのあるもので、中の餡は上品な甘さ!
そしてほんのり塩気があり、餡の甘さと絶妙にマッチしています!
「かん川本舗」さんの地図
姫路駅で新快速に乗り換え。これに乗ってしまえば大阪まであっという間です!
まとめ
今回はこのように岡山市中区の住宅地をぶらぶら散歩する旅でした。
住宅地とはいえかつての備前国の中心でもあり、数々の神社や寺院跡からとても歴史あるところだとよくわかりました!
さらにこの地の用水路には貴重な魚がおり、住宅地にあるとは思えない豊かな生態系が今も残っています!
そして今回で春の18きっぷ五回分を無事に使い切りました!
この春は特にトラブルに遭遇することもなく、五回とも本当に有意義な旅ができ、まさに100点満点だったと言えると思います!