先日、10/20に兵庫県姫路市の沖合にある家島(いえしま)という離島へ行ってきました!
家島は姫路市の沖合10kmほどのところにある島。そう大きくはありませんが2700人近くもの人が住んでいます!
そしてこの家島には実は1100年前に編さんされた法典『延喜式』に記されている神社、つまり式内社があるのです!
それだけ歴史がある島ということですね!
今回の旅はこの式内社を訪れるのが一番の目的。
そしてせっかくなので家島をぶらぶら歩いてみようと思います!
どんな旅になるのか楽しみですね!
目次
姫路沖合の離島、家島へ!
電車と船を乗り継いで上陸
まずは姫路市へと向かいます。
大阪から姫路へ行くには新幹線、JR在来線、阪神&山陽電車の三択があります。
今回は私鉄の阪神&山陽電車の初電で向かうことにしました!
阪神電車と山陽電車は相互直通運転していて、大阪梅田駅から山陽姫路駅まで乗り換えなしで行くことができちゃいます!
ちなみに今回は「シーサイド1dayチケット」というフリー乗車券を使っています。
2200円で販売されており、大阪と姫路を往復するだけで余裕で元がとれちゃいます!
(※追記:2023年度より2400円に値上げ)
乗ったのは山陽電車の車両です。山陽電車の座席は転換クロスシートで、しかもソファーみたいにふかふかなんです!
須磨~垂水あたりは海沿いで景色も良いのでゆったりと姫路へ行くことができますよ!
今回は終点の一つ手前、飾磨という駅で降りました。現在は駅舎が工事中です。
家島へ行く船の出ている姫路港は姫路の中心からちょっと離れていて、姫路駅からバスで行くのが一般的。
でも時間的に姫路駅からバスに乗ると船の出航時刻に間に合いません。
そのため今回は足慣らしも兼ねて飾磨駅から歩いて行くことに!
飾磨駅から30分ほどで姫路港に到着です!
姫路ポートセンターで乗船券を購入しますがここで一つ注意点。
家島へ行く船は「高福ライナー」と「高速いえしま」という異なる二つの会社が運航しているので買うべき乗船券を間違えないように気を付けましょう!
行きに乗ったのは高福ライナーでした。
姫路港から家島まではおよそ30分程度です!
海上から家島を見た様子はこんな感じ。高い山はなく、全体的になだらかな丘といった印象ですね!
ちなみに上の写真は今回撮ったものでなく、以前に小豆島へ行く途中のフェリーから撮ったもの。
さて、そもそも家島は西側の「真浦(まうら)」と東側の「宮(みや)」という二つの地区で構成されています。
そして船の着く港もそれぞれ「真浦港」「宮港」があり、両方に寄港します。
地図を見ればわかるように真浦と宮の間には細長く入り組んだ湾があり、陸上で移動するには大幅に迂回しなければなりません。
でも船ならば海の上を直線で移動できるので楽々。そのため両方に港がある、というわけです!
家島の中心として機能しているのは真浦港周辺です。
実は今回降りたのは宮港の方ですが、都合上この記事では真浦港からスタートします!
真浦港の様子。上記のようにこの辺りが家島の中心です。
数階建てのビルが結構多くて現代的ですね!人々の往来も多くて、寂れた印象は全くありません!
真浦地区の鎮守「真浦神社」へ
真浦港のすぐ近くに「真浦神社」が鎮座しています。まずはこちらにお参りしちゃいましょう!
鳥居をくぐると境内の割に大きな社殿がドドンと建っています。
元は江戸時代後期の建物だったようですが平成十六年(2004年)に建て替えられたそうで今も真新しい印象ですね!
さて真浦神社について。御祭神は「奥津彦神(おきつひこのかみ)」「奥津姫神(おきつひめのかみ)」。
一般的には台所に祀られる神様、いわゆる竈神ですね!荒神(こうじん)と称することもあります!
こちらの神社も江戸時代以前は荒神社と呼ばれていました。
実は瀬戸内地域には荒神社がとても多く分布しており、この真浦神社もその一例です!
真浦神社がいつ頃に創建されたかははっきりしませんが、古くから真浦地区の鎮守として祀られてきたようです。
真浦神社の地図
真浦にある伝説の石「どんがめっさん」
真浦港のすぐ近くに、真浦神社とは別にこのように玉垣で囲われたところがあります。
石段を上ってみるとこのような亀のような大きな石がありました!
この石は「どんがめっさん」と呼ばれており、次のような伝説があります。
昔、亀に乗って釣りをするおじいさんがいた。
おじいさんは亀をたいそう可愛がっていたが、ある日おじいさんはとある船団に難波への水先案内を頼まれてしまう。
それ以来、おじいさんは難波で忙しく過ごすようになるが、亀は独り家島へ戻り、主人であるおじいさんの帰りを待ち続けた。
しかしいつまで経ってもおじいさんは戻ってこず、亀はとうとう石になってしまった。
亀に乗っている、と聞くと浦島太郎を想像する方が多いかもしれません。
しかしどちらかというと日本神話で神武天皇を案内した椎根津彦(しいねつひこ)に似た存在と言えます。
椎根津彦はまさしく瀬戸内海で亀に乗って釣りをしていた神(人物)で、神武天皇を畿内まで水先案内したと『古事記』や『日本書紀』に描かれています。
ただ、どんがめっさんの伝承はまさにこの椎根津彦の話を参照して作られたものである可能性もあります。そのため、古くからそのように伝えられていたかはちょっと注意しないといけないかもしれません。
とはいえ島の人々に大切にされてきた石なのは間違いなく、やはり神秘的な石と言えることでしょう!
「どんがめっさん」の地図
家島の景観・町並み
家島では造船業が非常に盛んで、特に真浦地区の港湾では多数のクレーンや重機などが見られます。
デカくてゴツい機械が海辺に多数並んでいる様子は大迫力!
真浦の町は海沿いとその背後の谷筋に広がっています。
家島は平地が狭い割にとっても多くの人が住んでいるため、家はとても密集していて道はかなり狭いです。
しかもそれでいて結構交通量が多い!特にバイクに乗って移動する人がひっきりなしに通り過ぎていきます!
真浦港の周辺にいくつかビルが建っていたのは先ほど見たところですが、一方で谷筋の町並みを奥へ進んでいったところにもこのようにビルが建っていました!
民家の密集する狭い道の奥にこのようなビルが突然現れるのですから驚きです!
これも平地が少ないゆえに土地を有効活用するための工夫と言えるのかもしれませんね!
ちなみに家島周辺の島には良質な石材が豊富に採れるところが多く、家島にはこれら石材を採掘する業者の事務所も多くあります。こうした事務所がビルになっている例が多い印象でした。
真浦港のすぐ北西側に城山という丘があり、ここを登っていくと真浦港が一望できます!
見ての通りまさしく天然の良港ですね!
深く入り組んだ湾となっていて、両側に伸びた岬が波や風を除けてくれる地形です。
家島はとっても古くから人が定住してきた島です。
その辺りの詳細はまた後ほど触れますが、古くから人が住んでいたのはこのように地形が港として非常に都合が良いことが理由の一つとして挙げられることでしょう!
ちなみにこの城山という丘はその名の通りかつて城がありました。
室町時代に苦瓜助五郎本道(にがうりすけごろうもとみち)という人物が城を築いたと言われ、その城は苦瓜城と呼ばれていたようです。
現在その城跡には弘法大師を安置するお堂が建っており、城山公園として整備されています。
城山公園の地図
続いて真浦地区から宮地区へ。
真浦地区と宮地区の間には上述のように細長く入り組んだ湾があり、このため陸上で移動するには大周りになってしまいます。
一方でこの湾もまた天然の良港でもあり、ここにはたくさんの漁船が係留されています。
家島では漁業も非常に盛んで、造船業、石材業と合わせてこの三つが家島の主要な産業となっています。
宮地区の鎮守「宮浦神社」へ
宮地区の集落内には「宮浦(みやうら)神社」が鎮座しています!
入口に立っている鳥居は元禄五年(1692年)に建てられたもので、当初は厳島神社のように海中に建っていたとも伝えられています。
神社自体は民家の密集したところにあるものの境内はちょっとした広場になっていて狭くありません。
境内の奥に社殿が建っているのでお参りしちゃいましょう!
拝殿後方に建っている本殿。奥の方はとっても狭く民家スレスレのところに建っています。
さて宮浦神社について。御祭神は「猿田彦神(さるたひこのかみ)」「天照皇大神(あまてらすおおみかみ)」「武甕槌神(たけみかづちのかみ)」「底筒男神(そこつつのおのかみ)」の四柱。
伝承では、覚円(かくえん)という比叡山の僧侶が坊勢島(ぼうぜじま / 家島の南にある島)に住んでいたといき、霊夢によって故郷の近江にある白鬚大明神の神様の分霊を迎えたと言われています。
白鬚大明神とは滋賀県高島市に鎮座する白鬚神社のこと。#009で訪れましたね!
滋賀県高島市の白鬚神社も厳島神社のように湖に鳥居が建っていました。
宮浦神社の鳥居が海中にあったと言われているのも白鬚神社にならったものなのでしょう!
宮浦神社もかつては白鬚大明神と呼ばれていたものの、明治以降に今の社名に改称したようです。
宮浦神社の地図
家島に鎮座する式内社「家島神社」へ
宮地区の集落と宮港を通り過ぎて海岸沿いを奥へと進んでいきます。
しばらく進んでいくとこのような砂浜があり、ここは「清水の浜海水浴場」と呼ばれる海水浴場となっているようです。
この浜は家島にある他の浜とは全く異なった砂で出来ており、かつ砂の供給源となる河川も見当たらないため、恐らく他所から砂を持ってきたのではないかと思われます。
この砂浜からさらに奥の方を見た様子。
奥に見える岬は「天神鼻」と呼ばれており、これから向かうところはその上にあります!
さらに歩いて行くと途中にこのようなところがありました。
海に向かって注連柱が建ち、その奥には大きな岩石があります!
これは「詩ヲ書キ場(しをかきば)」と呼ばれています。
伝承では菅原道真公が大宰府へ左遷される途中にこの地に留まって詩を詠んだところと言われています。
記録の上では菅原道真が家島を訪れたとする史料はありませんが、家島では菅原道真が訪れたと伝えられていたようです。
「詩ヲ書キ場」の地図
この海岸沿いの最奥部へやってきました!ここに次の目的地「家島神社」の入口があります!
実は今回の旅最大の目的地がここなのです!
鳥居を参道側から見るとこのように鳥居越しに海を眺めることができちゃいます!
この光景が順光になるのは午前中のみ。最初に真浦港でなく宮港で降りたのはこの光景を撮るためだったのです!
また、この鳥居の先の浜は「天神浜」と呼ばれています。菅原道真公が石に詩を書いて家島神社に奉納したものの、その一つが天神浜に紛れてしまったため、人々は畏れ多いとして浜の石を持ち出さないと言われています。
参道を進んでいくと森の中にとっても長い石段があります!
この石段を上りきったところが天神鼻の尾根となります。
上りきって左側に灯籠が並んでいるのでここを進んでいきましょう。
この最奥部に家島神社の社殿が建っているのでお参りしちゃいましょう!
拝殿後方に建つ本殿の様子。家島の他の神社と同様、比較的新しい社殿ですね!
さて家島神社について。御祭神は「大己貴命(おおなむちのみこと)」「少名彦命(すくなひこのみこと)」「天満天神(てんまんてんじん)」の三柱。
この記事の最初に家島に式内社があると書きましたが、実はその式内社がここ家島神社です!
しかもただの式内社でなく、特に重要な神社である名神大社にも列せられているのです!
社伝によれば、神武天皇が大和へ向かう途中に当地に立ち寄ったところ、港がとても穏やかで「まるで家の中にいるように静かだ」と言ったことから「家島」と名付けたといい、このときに天神を祀って海上安全と戦勝を祈願したのが始まりと伝えられています。
ただ、これも『古事記』『日本書紀』などには神武天皇が家島に立ち寄ったとは記されていません。
兵庫県南西部(旧・播磨国)の伝承を集めた古い記録である『播磨国風土記』も同様です。
さらに『播磨国風土記』には家島の由来について全くことなることを記しており、「人々が家を作って住んでいたから」ととても安直な由来を紹介しています。
しかし、これまで見てきた通り家島はお手本のような天然の良港で、瀬戸内海を船で通る際には重要な拠点となったことは想像に難くありません。
『播磨国風土記』で人々が家を作って住んでいたとあるのも、その地の利で古くから人々が定住していたことを示すと言えることでしょう。
神武天皇にまでつながるかは微妙とはいえ、古い時代から家島が瀬戸内海の要衝として人々に重要視されてきたはずです!
家島神社が式内社、しかも名神大社にまでなっていたのも、まさしく家島が海運上の拠点として朝廷から非常に重視されたことによるのでしょう。
ところで家島神社は江戸時代以前は「天満宮」と呼ばれていました。
つまり菅原道真公を祀る神社として信仰されていたのです!
「天神鼻」「天神浜」という地名、そして「詩ヲ書キ場」の伝承もここにつながってきます!
ちなみに江戸時代には式内社「家嶋神社」はここでなく、先ほどの宮浦神社だとする説が主流だったようです。
家島神社の地図
家島随一の絶景「清水公園」へ
家島神社の南側を尾根沿いに進んでいったところにとっても景色の良いところがあります。
とにかく写真をご覧いただきましょう!
どん!
ここは「清水公園」というところ。遠くを見渡せるように整備されていて、このように天神鼻の尾根からとても美しい景色を眺めることができちゃいます!
上の写真は東側を見た様子。目の前に広がる海は瀬戸内海の播磨灘(はりまなだ)と呼ばれる海域です。
海の奥には本州の加古川市や明石市の工場群、さらには六甲山までよく見えますね!
ちなみにこの記事のアイキャッチ画像はここで撮影したもの!
ここから少し右側(南側)を見渡すと目の前に大きな島があります。この島の名は男鹿島(たんがしま)。
実は男鹿島は非常に良質な花崗岩(かこうがん)という石材が採れる島です!
さきほど家島では採石業も盛んだと書きましたが、その採石の行われている島の一つがここ男鹿島。
男鹿島の山肌がえぐれているのはこの山を構成する花崗岩を大規模に採掘しているためです。
そして家島の町並みが立派なのは、この男鹿島の採石業が造船業や漁業と共に経済を支えているからという側面もあるのです!
ちなみにさきほど清水の浜海水浴場の砂浜は他所から持ってきたのではと書きました。
見た限りでは花崗岩の風化した真砂土のように思われ、もしかしたら男鹿島から持ってきたのではないでしょうか。
清水公園は東側だけでなく西側も美しい景色を眺めることができます!
こちらはやや木々が繁っているものの、このように家島の港を見渡すことができちゃいます!
清水公園の地図
家島の代表的な古墳「チンカンドー古墳」へ
清水公園から南西方面、宮の集落へと下りる道の途中に「チンカンドー古墳」という古墳があります。
道に沿ってこのように入口があるので行ってみましょう!
古墳までの道は整備されているものの、山の方にあるためちょっとした登山道といった趣です。
数分ほど山を登っていくとチンカンドー古墳が見えてきました!
チンカンドー古墳は古墳時代末期の七世紀前半に築かれた古墳で、横穴式石室が設けられています。
チンカンドー古墳の石室は天井石がなくなっていて、その上にかぶせられていた土(封土という)もなくなっているためこのように中身が露出してしまっています。
そしてここには石棺がそのまま置かれています!四角い箱のような石がそれで、横には蓋も置かれていますね!
この石棺は刳抜式家形石棺と呼ばれる種類のものです。
このように古墳があることは、その時代から有力な人物がこの家島に住んでいたことを意味します。
こうした人々がこの島に家を、そして集落を作り、『播磨国風土記』が記しているようにその光景から「家島」と呼ばれるようになったのかもしれませんね!
チンカンドー古墳の地図
船で姫路へ
さて良い時間になったので宮港から姫路へと戻ります!
帰りに乗ったのは行きに乗ったのと違う「高速いえしま」という会社の船です。
高速いえしまの船はデッキがあり、このように屋外で潮風を浴びながらの船旅を楽しむことができちゃいます!
いざ出航です!港を出るとスピードを上げ、見る見るうちに家島が遠くへと離れていきました。
航行中の景色はこのような感じ。播磨灘は瀬戸内海の中でもとても広い海域ですね!
姫路で腹ごしらえ&帰路へ
さて姫路港に到着したら行きと同様、山陽電車の飾磨駅へ。
せっかくフリー乗車券を持っているので終点の姫路駅へと向かいます!
家島は飲食店が少ないので持ってきたおにぎりしか食べておらず、お腹ペコペコ。
なので姫路で腹ごしらえしちゃいましょう!
訪れたのは姫路駅近くの商店街にある「やま義」さん!
こちらでは姫路港で獲れたアナゴを存分に味わうことができちゃいます!
頂いたのは「あなごわっぱ」!焼きアナゴ、蒸しアナゴ、アナゴの佃煮の三種類がごはんに載っているとっても贅沢な一品です!
「やま義」さんの地図
さてお腹がいっぱいになったので山陽電車で大阪へ帰ります。
帰りも山陽電車のフカフカの転換クロスシートでした!
まとめ
このように今回は姫路沖合に浮かぶ離島・家島を巡ってみました!
このような離島でも由緒ある式内社があるのだから驚きですね!
そしてその町並みは離島とは思えないほど賑やかでした!
造船業・漁業・石材業の三つの産業が家島を支えていて恵みをもたらしている、ということもわかりましたね!
離島はなかなか行く機会が無いけれど、他の離島もこのように訪れてみると色々と発見がありそうですね!
アイキャッチの元画像はCi-enの記事に公開しているのでこちらも是非見てみてくださいね!