先日、6/3に奈良県の山奥にある天川村というところへ行ってきました!
実は奈良県というところは人の住めるような平野部がほんの少ししか無く、可住地面積(人の住める場所の面積)は47都道府県で最小なのです!
ではそれ以外のところはどうなっているのかというと、「山」です!
ひたすら山、山、山!!!
前々回の都祁行きは奈良県東部の大和高原でしたが、あれも山中とはいえまだ開けていて人が住める方。
それに対して奈良県南部はガチの山!
人の住めるような場所は川沿いのほんのわずかなところしかありません!
大阪のような都会から距離的にはそう遠くないにも関わらずガチの秘境が広がっているのです!
もちろんアクセスも悪く、訪れるには事前にしっかり計画を立てなければなりません!
今回はそんな奈良県南部にある天川村というところ。
果たしてどれほどの秘境なのか、楽しみですね!
目次
奈良県天川村へ!
まずは下市口駅へ
まずは近鉄電車の吉野方面へ行く電車に乗ります。
今回は贅沢にも特急を使いました!
今回は下市口という駅で下ります。
ちなみに下市口駅は大淀町。それに対して下市町は吉野川を挟んだ対岸にあります。
元々は木材の集積地として下市町が栄えていたのに対し、大淀町は寂れていたため、大淀町にありながらも下市町の名前を冠することになったようです。
しかし鉄道が開通してからは大淀町はベッドタウンとしての側面も持ち始め、今では大淀町の方が栄えている状況なのだとか。
いざ天川村へ
下市口駅から洞川温泉行きのバスに乗って一時間弱、「天川川合」というバス停で下りました。
ここが天川村の入口となるのです!
実は天川村を流れる川(天ノ川)は吉野川と水系が異なり、直接太平洋側へと流れています。
具体的には天ノ川は十津川、熊野川と名称が変わり、和歌山県の新宮市へと流れていくのです。
昔はこの川を利用して切り出した木材をいかだにして新宮まで流して運んだそうですよ!
天川川合付近の町並み。天川村の入口だけあってちょっとした食堂や旅館もあります。
今では車でほとんどスルーされるけれど、かつては多くの旅人で賑わっていたのかもしれませんね!
天ノ川にはこのように多くの吊り橋が架かっているのも特徴でしょうか。
車は通れないけれど比較的安価に深い谷の向こう側へ渡ることができる設備と言えます。
吊り橋からの景色は絶景そのもの!
渓谷を流れる天ノ川が美しいですね!
上にも書いたとおり、この川は山を越えて遥か太平洋まで続いています!
天川川合からは南西方向、天ノ川の下流方向へと歩いていきます。
途中の景色はこのような感じ。
途中、また別の橋から天ノ川を撮ってみました。
エメラルドグリーンの川、ゴツゴツとした岩肌、そして新緑。まさに初夏の渓谷美というものでしょう!
歴史ある霊場「天河大辨財天社」へ
さらに天ノ川沿いに歩いて行くと坪内というところに至ります。
この辺りは天ノ川沿いでは比較的まとまった平地のあるところで多くの民家も密集しています。
ここに最初の目的地「天河大辨財天社(てんかわだいべんざいてんしゃ)」が鎮座しています!
緑に囲まれた中にある朱の鳥居はとりわけよく映えますね!
鳥居をくぐって境内へ。境内はうっそうとした森になっています!
奥の石段の上に社殿が建っており、社殿の横から入って参拝する形になります。
社殿内へと入って参拝しましょう!
鈴の緒に付いている鈴は輪に三つの鈴がついた独特のもの。これは神社に古くから伝わる独特の神宝「五十鈴」を模したものとなっています!
天河大辨財天社の御祭神は「市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)」。
市杵島姫命は古くから仏教の天部である弁才天(辨財天)と同一の神として信仰されており、今も社名に残っています。
社伝ではその創建は飛鳥時代、修験道の開祖である役行者(えんのぎょうじゃ)が弥山(みせん / 南東約8kmほどの地にある山)の鎮守として弁才天を祀ったのが始まりと伝えられています。
その後、壬申の乱の際に天武天皇が戦勝を祈願し、見事勝利したために社殿を造営したと伝えられています。
そして弘法大師空海も大峰山で修行をしたときにここを第一の霊場とするなど、名だたる人々がここを信仰の地として崇めたと言われています。
ちなみに江戸時代には「琵琶山白飯寺」と呼ばれ、その名の通り神社というよりお寺でしたが、明治の神仏分離で仏教的な部分は除かれて神社となり今に至ります。
近年、この神社は特に神秘的な霊場として非常に注目されてきており、SNSでも話題が広がり、山奥にも関わらず多くの人が訪れるところとなっています!
ただ、やはり交通の便が悪いので交通機関を利用する際は事前によく調べておくのがオススメ!
天河大辨財天社の地図
天河大辨財天社の周辺
南朝黒木御所跡
少し時間があるので、せっかくなので天河大辨財天社の周辺をちょっと散策してみましょう!
天河大辨財天社の境内の北東側には「南朝黒木御所跡」があります。
中世、後醍醐天皇による建武の新政が崩壊したとき、朝廷は光明天皇の系統(持明院統)である北朝と、後醍醐天皇の系統(大覚寺統)である南朝に分かれてしまい、その後約60年近くにわたって対立することになります。
この異質な時代を南北朝時代と呼び、南朝は主に現在の奈良県南部の山中を拠点としていました。
ここ天川村でも複数の南朝の拠点(行宮)があり、この黒木御所跡はその一つだったのです!
石段を上っていくと平らな広場となっており、その一角には真新しい石塔(宝篋印塔)が建っています。
この次に訪れる来迎院というお寺はかつてここに建っていたと言われており、南朝方はこのようにお寺を行宮としていたことが多かったようです。
南朝黒木御所跡の地図
来迎院
今度は反対側、天河大辨財天社の西側へ。こちらには上にも書いた「来迎院」というお寺があります。
来迎院は元々は天河大辨財天社がお寺だった頃の塔頭(たっちゅう)、つまりお寺に付属する小さなお寺(子院・末寺)でした。
上述のようにかつては南朝黒木御所跡にあったものの、いつの頃か火災があったため現在地に遷ったと言われています。
来迎院の本堂の右側にはとっても大きなイチョウの木があります!
このイチョウは高さ35mもあり、奈良県で最大級となる貴重なもので奈良県指定天然記念物!
ここが信仰の地だからこそこのように木が残されてきたものと考えられ、とすれば来迎院がこの地に遷ってきたのもきっとかなり昔のことだったのでしょう。
来迎院の地図
在原業平の墓
来迎院からさらに西側、ちょっとした丘の向こう側に小さな石塔(五輪塔)があります。
実はこれは在原業平のお墓だと伝えられています!
在原業平は『伊勢物語』の主人公のモデルともされ、様々な女性と禁断の恋をするプレイボーイといった印象もありますね!
惟喬(これたか)親王が天河大辨財天社に参詣した際、在原業平も同伴したといい、それでこの地を訪れた時に「狩り暮らし たなばたつめに 宿からむ 天の河原に 我は来にけり」という歌を詠んだとされています。
このように在原業平はこの地と縁があり、天川村にはここともう一つ在原業平の墓と伝わるところがあるそうです。
ただ他にも在原業平のお墓と伝えられるところはいくつかあるため、現実的にはただ同伴で訪れただけのこの地に葬られるというのはちょっと信じがたいところでしょう。
とはいえそれだけこの地の人々が、この地の歌を詠んだ在原業平に親近感を抱いていたことでもあると思います!
在原業平の墓の地図
山奥の式内社「伊波多神社」へ
天河大辨財天社からさらに南西側、川の下流の方へと歩いていきます。
下流方向とはいえむしろどんどん山の中へと入っていくような感じ。
途中には上の写真のようにちょっとした集落もあるものの、基本的には山ばかりの景色。
途中にあった橋から天ノ川を眺めた様子。
平地は全くと言っていいほどなく、数少ない集落も山の斜面にへばりつくように立地しています。
さて、さらに下流側へと歩いていくと、何やら川側にやたら杉の木やらが生い茂っているところがあります。
道路から崖下へ下りられる階段があり、ここを下りてみると…
このように神社があります。ここが次の目的地「伊波多(いはた)神社」!
さっそくお参りしましょう!
伊波多神社には拝殿はなく、鳥居とその奥の基壇上に本殿が建つのみのシンプルな構成。
伊波多神社の御祭神は「伊波多神」。
こちらの神社は1100年前の法典『延喜式』に記された神社、つまり式内社。
しかも奈良県内で最も南にある式内社となっています!
さらに付け加えると、奈良県内で太平洋側へ流れる水系にある唯一の式内社でもあるのです!
伊波多神社の創建や由緒ははっきりしませんが、江戸時代には「立和宮(たちわのみや)」「八幡太刀大明神」などとも呼ばれていました。
伝承では後醍醐天皇の太刀が境内の側を流れる川(明神淵)に流れ着いたことに因むとも言われています。
境内の背後から天ノ川へと下りられるのでせっかくなので下りてみましょう!
このようにとても美しいエメラルドグリーンの川となっており、息をのむほどです!
ちなみにこの記事のアイキャッチ画像はここで撮影したものですよ!
伊波多神社の地図
帰路へ
川でぼーっとしてたらいい時間になったのでそろそろ戻りましょう!
帰りは道を戻って下栃尾というバス停から下市口駅へのバスに乗りました。
ちなみに神社近くの郵便局でもバス停は無いけど手を挙げるとバスは停まってくれるそう。
でも時間があったのと本数がとっても少ないこともあり、確実に停まってくれるバス停まで少し歩いたのでした。
下市口駅からの帰りの電車も贅沢に特急を利用。
帰りの電車は「さくらライナー」というかっこいい電車でした!
まとめ
今回はこのように奈良県の山奥にある天川村というところを巡ってみました!
訪れたところは多くないものの、美しい自然と歴史ある神社を楽しめてとても満足な一日でした!
奈良県の山奥は夏場に訪れる人が多いものの、夏場は毎日のように上昇気流で入道雲が現れて急な大雨に遭ってしまうところ。
だから今回のように天気の安定した初夏に訪れるのが最も良いのかもしれませんね!
アイキャッチの元画像はCi-enの記事に公開しているのでこちらも是非見てみてくださいね!