先日、大阪府の大阪市住吉区と堺市堺区へ行ってきました!
大阪府にある二つの政令指定都市、大阪市と堺市!
大阪が大都会なのはもちろんですが、堺市も古くからの都市で、特に戦国時代に自治が行われて南蛮貿易の拠点となっていたことは教科書にも載っていましたね!
この二つの都市は海に面しており、瀬戸内海の東端で京などの外港であったことから、海運を通して商業が発展したところです。
そして、海を通じて発展したことを示しているかのように海に関係する神社もこの両都市に鎮座しているのです!
今回はこれら海に関係する神社を巡ってみるというテーマを設定した旅。
珍しく都市部ということで、どのような旅になるか楽しみですね!
目次
大阪市住吉区へ!
大阪府を代表する神社「住吉大社」へ
今回の記事は都合上、実際の訪問とは異なる順番で紹介していきます!
早速ですがまずは大阪市住吉区住吉に鎮座する「住吉大社」!
言わずと知れた大阪府を代表するとっても大きな神社ですね!
名神大社で、摂津国一宮でもあり、古くからとても格式の高い神社です!
鳥居をくぐって参道を進むと「反橋(そりはし)」というとっても目立つ橋があります。
弧を描くような形になっており、両端はとっても急な段になっているのが特徴!
この反橋は住吉大社の象徴というべきもので、古くから住吉大社を題材とした絵が描かれるときは必ずこの反橋が描かれたものでした。
反橋を渡ると鳥居と神門が建っています。
この鳥居は角柱が用いられている珍しいもので「角鳥居」と呼ばれています!
ちなみにこの記事のアイキャッチ画像はここで撮影したもの!
角鳥居と神門をくぐるといよいよ社殿の建ち並ぶ主要な空間です!
ここに四棟の社殿が並んでいるのですが、その配置がまた独特!
まず境内奥から手前の神門にかけて第一本宮、第二本宮、第三本宮の三棟が一直線に並んでいます。
そして第三本宮の横(南側)に第四本宮が建っているのです!
衛星写真で見るとわかりやすいでしょう。
四棟の社殿が「L」字形に並んでいることがわかりますね!
それでは参拝しましょう!
どの社殿から参拝すべきかという決まりは無いのですが、神門をくぐってすぐの第三本宮から参拝する人が多いです。
ここではあえて一番奥の第一本宮から参拝しましょう!
参拝する手前側の建物は一般的な神社では拝殿と呼ばれるのに対し、住吉大社ではこれを「幣殿(へいでん)」と呼んでいます。
幣殿は四棟とも江戸時代後期の文化七年(1810年)に建てられたもので、本殿とをつなぐ渡殿と共に国の重要文化財に指定されています!
ちなみに幣殿は第一本宮のみ大型のものとなっており、他の三棟は同規格となっています。
そして後ろの本殿はこのような建物。写真は第一本宮のものですが四棟ともに同規格です。
まっすぐな三角形の屋根で、三角の面(妻面)が正面にくる形となっています。
とてもシンプルな構造ながら、これは「住吉造」という形式の本殿でとっても珍しいものなのです!
そして伊勢神宮の神明造と同様、古い形の社殿を今に伝えているものだとも言われています!
本殿は四棟ともに幣殿と同様、江戸時代後期の文化七年(1810年)に建てられたもの。ですがこちらは何と国宝に指定されています!
住吉大社の御祭神は「底筒男命(そこつつのおのみこと)」「中筒男命(なかつつのおのみこと)」「表筒男命(うわつつのおのみこと)」「神功皇后(じんぐうこうごう)」。それぞれ第一本宮、第二本宮、第三本宮、第四本宮に一柱ずつ祀られています。
底筒男命、中筒男命、表筒男命の三神は「住吉三神」とも呼ばれ、日本神話ではイザナギノミコトが禊をしたときに海神である底津綿津見神、中津綿津見神、上津綿津見神の三神と共に生まれたことが記されています。
そして時代が下って神功皇后の時代、三韓征伐からの帰りに船が進まなくなり、そのときに住吉三神から「我を大津渟中倉之長峡(おおつぬなくらのながお / 今の住吉大社の辺りとされる)に祀れば船を守護しよう」と託宣があったことが記されており、これが住吉大社の創建とされています!
このように住吉三神は海神と共に生まれたこと、そして船を守護する神であることが神話から見てとれ、まさに海ととても関わりの深い神様であることがわかりますね!
古くはこの辺りに住吉津(すみのえのつ)という港があり、古代においては外港として非常に重視されました。
朝廷は朝鮮半島などと対外交渉をするにあたって、その拠点である住吉津に住吉三神を祀って航海の安全を祈願したと考えられます。
時代が下って江戸時代には北前船など海運関係の人々から熱心に崇敬を受け、香川県の金刀比羅宮とともに庶民の間でも航海の神様として盛んに信仰されました。
交通の主役が船から車になった今ではこうした航海の神様としての側面は薄れましたが、その延長として交通安全の神様として信仰されているようです。
ちなみに上では住吉大社の本殿は四棟とも同規格と書きましたが、実は大きな違いがあります。
次の写真をご覧ください!
本殿の屋根の頂上(棟)の端に「×」の形をした部分がありますよね?
これは「千木(ちぎ)」と呼ばれるもので、多くの神社建築に備え付けられている装飾です。
この千木の上端は、第一本宮・第二本宮・第三本宮は上の左の写真のように垂直に切られています。
これに対し、第四本宮のみ上の右の写真のように水平に切られているのです!
前者は「外削ぎ」、後者は「内削ぎ」と呼ばれていて、一般に男神を祀る場合は外削ぎに、女神を祀る場合は内削ぎにする傾向があります。
第四本宮は女性(女神)である神功皇后を祀っているので内削ぎになっているのですね!
住吉大社の地図
住吉大社の社家の祖を祀る「大海神社」へ
住吉大社には数多くの境内社があり、この記事では特にこちらの一社を紹介したいと思います。
それは、住吉大社の境内北側にある「大海(だいかい)神社」!
住吉大社の境内社の中では最も格式が高く、それを示すかのように住吉大社とは別に独自の鳥居と参道が設けられています。
そしてもちろんこちらも『延喜式』に記された神社、すなわち式内社です!
参道を進んでいくと神門が建っています。
とてもシンプルな門ながら、江戸時代前期に建てられたもので国指定重要文化財となっています。
神門をくぐってお参りしましょう!
住吉大社と同様、手前の参拝する建物は幣殿と呼ばれています。
こちらの幣殿は住吉大社のものより古く、宝永五年(1708年)に建てられたもので、渡殿と共に国の重要文化財に指定されています!
幣殿の形式は住吉大社のものよりかなり簡素なもので、屋根は反りがなくまっすぐになっており、唐破風や千鳥破風といった装飾もありません。
後ろの本殿は住吉大社と同様のいわゆる住吉造。
幣殿と同じく、住吉大社より古い宝永五年(1708年)に建てられたもので国の重要文化財に指定されています!
大海神社の御祭神は「豊玉彦命(とよたまひこのみこと)」「豊玉姫命(とよたまひめのみこと)」の二柱。
この大海神社は代々住吉大社の神官を務めた津守(つもり)氏がその祖神を祀った神社とされています!
しかし、津守氏の祖は天火明命(あめのほあかりのみこと)という神様ですが、上のようになぜか御祭神はそうなっていません。
豊玉彦命・豊玉姫命は福岡市志賀島(しかのしま)を拠点として海を舞台に活躍した氏族「安曇(あずみ)氏」の祖神です。
安曇氏は前々回の滋賀県高島市行きでも出てきましたね!安曇川の由来となった人々です。
こうした矛盾が生じている理由ははっきりしません。
もしかしたら本来は古くから安曇氏が祖を祀っていたのを、住吉大社の創建にあたって祭祀が津守氏に移ったのかもしれませんね。
この辺りは詳しくは姉妹サイト『神社巡遊録』の「大海神社」の記事もご覧ください!
大海神社の社殿に隣接して「志賀社」という境内社が鎮座しています。
こちらの御祭神は「底津少童命(そこつわたつみのみこと)」「中津少童命(なかつわたつみのみこと)」「表津少童命(うわつわたつみのみこと)」の三柱。
少童とは海神の意味です。この三柱は住吉大社のところでも記したように、イザナギノミコトが禊をした際に住吉三神と共に生まれた神様です!
一方で社名の志賀とは志賀島の意と考えられます。そう、安曇氏の故郷ですね!
志賀島には安曇氏が祖を祀った志賀海神社が鎮座しており、そこから神様の分霊を迎えたのでしょう。
やはり大海神社には安曇氏が関わっていたのではと思わせられますね!
そしてさらに!
大海神社の手水舎(ちょうずや / 手を清めるところ)にある井戸は「玉の井」と呼ばれていて、ここも実は重要なのです!
日本神話の海幸彦・山幸彦の段では、山幸彦が海の底の宮殿を訪れ、そこで海神から潮満珠(しおみつたま)と潮乾珠(しおひるたま)という二つの宝珠を授かることになります。
そして伝承では、その二つの宝珠の内の潮満珠がこの玉の井に埋められていると伝えられているのです!
日本神話の中でも海幸彦・山幸彦のお話は極めて海洋色が強い部分です。
安曇氏など海を舞台に活躍していた人々が語り継いでいた伝承を取り入れて脚色したのが海幸彦・山幸彦のお話だとも言われています。
そうした海幸彦・山幸彦に関連する伝承がここにあるのは、やはり海とつながりの深い人たちがこの神社を祭祀していたからでは…、などと想像が働きますね!
ちなみに山幸彦の授かった潮満珠を埋めたという伝承は、この後訪れるところでもまたつながってくる話なので覚えておいてくださいね!
大海神社の地図
鰻がおいしい「いづもや」さんへ
お腹が空いたのでお昼ご飯にしましょう!
住吉大社の入口から少し北側へ歩いたところに古びた小さな民家があり、ここからとても香ばしい香りが漂ってきます。
実はここ、「いづもや」という鰻の老舗なのです!
大阪では鰻のことを「まむし」といい、こちら「いづもや」さんでは鰻重を「鰻まむし」と呼んで提供しています。
鰻まむしはいくつかの値段設定があり、その中で最も高いものでも2000円です!
鰻にしてはとっても安いですね!ちょっと贅沢したいときにはもってこいです!
せっかくなのでこの一番高い2000円の「鰻まむし」をいただきました!
「いづもや」さんの地図
住吉大社のお土産に、「喜久寿」さんへ
大きな神社のそばには必ずと言って良いほど和菓子の老舗があります。
住吉大社でも例にもれず、境内入口の北側に「喜久寿」さんという和菓子屋があります!
せかっくなのでこちらでおやつも買っておきましょう!
「喜久寿」さんはどら焼きがとっても有名です!
今回はこのどら焼きと、「住吉詣(すみよしまいり)」というお菓子を購入。
住吉詣は円形のスポンジ生地を半月状に折り曲げてその中にあんこを入れたもの。その形が住吉大社の反橋を模したものとなっています!
こちらもおいしく、住吉大社らしいお菓子なのでオススメです!
「喜久寿」さんの地図
住吉大社御用達、「末廣堂」さんへ
住吉大社の近くにはもう一軒、老舗の和菓子屋があります。
それはこちら「末廣堂」さん!こちらでもおやつを購入しちゃいましょう!
こちらでは「さつま焼」というサツマイモ型のお饅頭が名物となっています。
かつて住吉大社周辺ではサツマイモが名産品だったといい、これに因んで明治年間からサツマイモをかたどったお饅頭を販売しています!
そしてこちらは住吉大社の御用達にもなっているのだとか!
さつま焼はこし餡とさつまいも餡の二種類があり、竹串で一本一本手作りで丁寧に焼き上げているそうで、香ばしい風味も相まってとっても美味!
「末廣堂」さんの地図
堺市堺区へ!
堺の中心となる神社の一つ「開口神社」へ
続いて大和川を渡って堺市堺区へと向かいます。
南海電車で住吉大社駅から三駅の堺駅へ!この辺りは堺市の旧市街となります。
ちなみに住吉大社からは路面電車である阪堺電車でも来ることができますよ!
堺駅から東へ、甲斐町東というところに「開口(あぐち)神社」が鎮座しています!
こちらの神社は堺の中心となる神社の一つで、堺の旧市街のうち南半分の鎮守となっています!
鳥居をくぐると境内はよく整備されていてとても開放的な印象です。
鳩がやたら多いのも印象的!
それではお参りしましょう。
社殿はRC造の頑丈な造りとなっています!
後ろの本殿もRC造。
深みのある赤い塗装が施されていて、RC造とはいえ決して無骨ではなく気品ある建物となっていますね!
開口神社の御祭神は「塩土老翁神(しおつちのおじのかみ)」「素盞嗚神(すさのおのかみ)」「生国魂神(いくくにたまのかみ)」。
開口神社もまた『延喜式』に載っている神社、つまり式内社です!
伝承では神功皇后の三韓征伐の帰りに詔によって塩土老翁神を祀ったことが創建であると伝えられています。
塩土老翁は日本神話では海幸彦・山幸彦の段で山幸彦に海の宮殿へ行く方法を教えてくれた神様です。
そしてその名前から「塩」「潮」と関係があると考えられていて、やはり海に関係のある神様なのです!
一方で住吉大社に伝わる『住吉大社神代記』というとっても古い記録によれば、開口神社は「開速口姫神」「開口水門姫神社」の名前で載っています。
このことから本来は塩土老翁神でなく別の女神が祀られていた可能性も考えられます。
とはいえその社名から港湾に関係する神様だったと推測され、ここ堺に古代にあった港を守護する神様だったのかもしれません!
また『住吉大社神代記』には「開速口姫神」「開口水門姫神社」は住吉大社に関係する神社として記されており、さらに時代が下っても開口神社は住吉大社の奥の院と呼ばれました。
このように、開口神社は古くから住吉大社と深い関係のある神社でもあったのです!
開口神社の地図
住吉大社の御旅所「宿院頓宮」へ
開口神社から250mほど南東側、宿院町東というところにも神社が鎮座しています。
こちらの神社は「宿院頓宮(しゅくいんとんぐう)」という名前の神社!
鳥居をくぐって左側に社殿が建っているのでお参りしましょう!
後ろに建つ本殿は住吉大社と同様の住吉造となっています!
宿院頓宮の御祭神は「住吉大神」「大鳥井瀬大神」の二神。
ここ宿院頓宮は古くから住吉大社の御旅所(おたびじょ)、つまりお祭りの際に住吉大社からの神輿の渡御がここまで行われるのです!
頓宮も「一時的な宮」の意で、つまり御旅所のことを意味しています!
住吉大社からの神輿がここへ到着すると荒和大祓(あらにごのおおはらえ)神事が行われます。
これは上にも登場した『住吉大社神代記』という古い記録にも出てくるとっても古い神事なのです!
ただ、この神事は「開口水門姫神社」、つまり開口神社で行われることが記されていて、かつては宿院頓宮も開口神社の境内だったことが考えられます。
一方で上にも書いたように宿院頓宮では「大鳥井瀬大神」という神様も祀っています。
これは「大鳥井瀬神社」という神社の御祭神。この神社は『延喜式』に載っている式内社で、かつ堺市西区に鎮座する大鳥大社という大きな神社と関係の深い神社です。
様々な経緯があってここ宿院頓宮の相殿となり、そしてここは大鳥大社の御旅所ともなっています。
つまりここ宿院頓宮は住吉大社と大鳥大社の二社の御旅所となっているのです!
さて、宿院頓宮の社殿の向かい側に何やらわけありげな区画があります。
鳥居の先にはこのような堀があり、その中心には岩が立っています。
これは「飯匙堀(いいがいぼり)」と呼ばれており、住吉大社の荒和大祓神事はこの堀で行われるのです!
ちなみに飯匙とはしゃもじのこと。かつてはしゃもじの形をしていたそうですが、今はこのように方形の堀となっています。
そしてここ飯匙堀にはある伝承があります。
さきほど大海神社の玉の井で山幸彦が海神から授かった潮満珠を埋めた、という話がありましたよね?
これに対して、もう一つの宝珠である潮乾珠を埋めたと伝えられているのがここなのです!
海を舞台にした神話である海幸彦・山幸彦のお話に関連するところがこのように大海神社と宿院頓宮にあることになります。
今回見てきたように、住吉周辺と堺周辺は海に関係する伝承が多く、しかも互いに密接に関連しあっています!
これらはもしかしたら、とっても古い時代に海を舞台に活躍した人たちが住吉と堺の両方を拠点としていて、互いに密接な関係を持ちながらそれぞれ伝承を伝えていったのかもしれませんね!
宿院頓宮の地図
まとめ
今回は大阪市住吉区と堺市堺区の、特に海に関係する神社を見てきました!
古くから大阪は海を通して発展してきましたが、そんな大阪でも特に海に関する伝承の非常に濃い地域がこの二ヶ所。
そしてこの二ヶ所は、古くからの神事や共通の神話に基づく伝承など、互いに関連し合っていることがよくわかりました!
これは恐らくとても古い時代の人々の活動の痕跡が今の伝承や神事となっているのでしょう。
このように神社巡りを通して古い時代のことをおぼろげながら想像できるのも旅の醍醐味と言えますね!
アイキャッチの元画像はCi-enの記事に公開しているのでこちらも是非見てみてくださいね!