先日4月1日、兵庫県を越えてすぐ、岡山県東部の備前市へ行ってきました!
岡山県備前市は一応は海沿いの片上地区が中心ですが、複数の自治体が合併してできたところのため、地域の核が分散しているようなところです。
今回は備前市の中でもちょっと内陸側、山陽本線の吉永駅を中心に巡ってみようと思います!
とはいっても今回はガッツリ神社巡りの旅でなく、二ヶ所の目的地を定めてのんびり歩く旅となっています。
岡山県備前市へ!
まずは吉永駅へ
今回は18きっぷ3回目!
まずは大阪駅から快速電車で姫路駅へと向かいます。
本当は新快速に乗りたいところですが、新快速が走る時間帯はやや遅いので、早い時間から走ってる快速だと姫路駅にも早く着けるんです!
姫路駅で少し時間があるので朝ごはんにしちゃいましょう!
姫路駅では駅の構内にある「えきそば」が名物となっています。
和風の出汁に中華麺の入ったもので、1949年から販売しているのだそう!
うどんや蕎麦でなく中華麺なのは、冷蔵庫の無い戦後すぐの時代、鹹水(かんすい)を使った中華麺だと保存がきいたからだそうな。
姫路駅からは岡山行きの電車に乗ります。黄色くてやたらと古い電車でした。
姫路~岡山間は本数が少なく18きっぷの関門と言われているものの、早めに姫路駅に着くことで難なく座ることができます。
今回は途中の吉永駅で下ります。
緑の屋根が印象的な、どこか懐かしさを感じる駅ですね!
桜が見事な「神根神社」へ
吉永駅から北東方向へと向かいます。
コミュニティバスも走っているのですが、今回は時間もあるので景色を楽しみつつのんびり歩いて行くことに。
駅周辺は民家もたくさんあるものの、しばらく歩いていくと民家も少なくなり、山間ののどかな光景となります!
八塔寺(はっとうじ)川という川に沿った谷間を歩いて行きます。
途中、八塔寺川のほとりに桜が咲いていました。
この時は大阪などの暖かい平野部ではソメイヨシノなどの桜が満開でしたが、この辺りは山間の寒いところなのでまだ5分咲きといった感じです。
吉永駅から1時間ほど歩くと神根本(こうねほん)というところに到着。
神根本の集落に一つ目の目的地「神根(こうね)神社」の入口があります。
この入口を通り抜けて山の麓へと進んでいくと…
どうです、この見事な桜!!!
境内にとても立派な桜の木があって、丁度見頃を迎えていました!
まるで夢でも見ているかのような美しさ!
境内の中央に大きなヤマザクラがあり、左右には種類は不明(エドヒガン系?)ながら別の桜があります。
このヤマザクラは周辺の桜と比べてかなり早咲きで、実はこれでも既に散り始めているのです。
一方で左右の桜はこれから満開を迎えるところ。
つまりヤマザクラも左右の桜も綺麗に花を咲かせている絶妙な状態で、全体で見れば一番きれいなタイミングだったようです!
桜に見とれてばかりいないでちゃんと参拝もしましょう!
境内手前側の建物は割拝殿。拝殿の一種で、中央が通路となっていて通り抜けることができます。
割拝殿の手前にある狛犬はご時世を反映してマスクを付けていました。
割拝殿の通路を通り抜けると急な石段があり、その上にまた別の拝殿があります。
鈴の緒や賽銭箱はこちらに設置されているので参拝客はこちらで参拝することになります。
神根神社は旧・備前国和気郡(現在の備前市や和気町などを含む一帯)で唯一の式内社。
式内社とは、約1100年前に編纂(へんさん)された『延喜式』という法典に記された2861社の神社のこと。
つまりそれだけ古い歴史ある神社ということなのです!
そして備前国三宮、つまり備前国で三番目に格の高い神社ともされました。(ただし備前国に三宮は無いとの説もあり)
神根神社の御祭神は「木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)」。お花の神様として有名ですね!
桜の美しいこの神社に相応しい神様と言えるのではないでしょうか。
ただ、この神社がどのように創建されたのかははっきりしないようです。
神根神社の地図
江戸時代の学校、「閑谷学校」へ
道を戻って、今度は線路の南側にある山の方へと向かいます。
お昼ご飯は途中のコンビニでおにぎりを買って公園でささっと済ませました!
さらに道を進んでいくと、峠のところにトンネルがあります。
ここを越えると…
目的地が見えてきました!
ここは江戸時代前期の1670年、岡山藩主の池田光政によって開設された学校「閑谷(しずたに)学校」!
一番大きな建物である「講堂」は国宝に指定されています!
創建当時は茅葺でしたが、後に改築して備前焼の瓦が葺かれ、鮮やかできれいな赤い屋根となっています。
講堂の内部の様子。
しっかりとした柱で内部を仕切っていて、壁の火灯窓(かとうまど)から入る光が床を反射しています。
学校建築としては破格の格調高いしつらえで、まさに勉学に励むにふさわしい、落ち着いた空間になっていますね!
毎月1と6の付く日はこの講堂で儒教の講義が行われました。
閑谷学校では武士のみならず庶民も、そして藩内はもちろん他の藩の者も生徒として入学することができたそうです。
講堂の手前側に建っている小屋みたいな建物は「小斎(しょうさい)」。
岡山藩主が訪れたときに休憩するところで、内部は茶室のような空間になっています。
講堂の西側には「習芸斎(しゅうげいさい)」が、さらにその西側に「飲室(いんしつ)」が接続して建っています。
習芸斎でも講義が行われ、ここでは毎月3と8の付く日に五経という儒教の書物の講義が行われました。
ここでは閑谷学校の生徒だけでなく近くに住む農民も講義を受けることができたそうです。
左側の飲室は生徒たちの休憩所で、囲炉裏が設けられています。この囲炉裏は炭以外は使ってはいけないと定められていて、火の取り扱いには厳重な注意が払われていました。
講堂の北東側の少し高いところに「聖廟(せいびょう)」があります。
「孔子廟」「西御堂」とも呼ばれ、儒教の始祖である孔子を祀る施設です。
神社によく似た建物で、神社の拝殿に相当する手前側の「大成殿」、本殿に相当する奥側の「中庭(ちゅうてい)」などで構成されています。
中庭では孔子像が安置されていて、毎年10月には「釈菜(せきさい)」という儀式がここで行われます。
聖廟はこの閑谷学校の施設の中でも特に重要視されたものでした。
その証拠に、閑谷学校の正門である「鶴鳴門(かくめいもん)」は扉越しに聖廟を望む形になっているのです!
ちなみに今はこの門を通ることはできず、一つ東側の門で受付をして見学をする形になっています。
聖廟の東側には「閑谷神社」があり、閑谷学校を開設した岡山藩主の池田光政を祀っています。
神社と称するようになったのは明治以降で、それまでは「東御堂」もしくは光政の諡号をとって「芳烈祠(ほうれつし)」と呼ばれました。
そのため鳥居が無かったり、拝殿や本殿に火灯窓が設けられたりするなど神社にはあまり見られない特徴があります。
講堂からさらに西側の方へと進んでいくと資料館があって、閑谷学校に関する様々な資料が展示されています。
この資料館は明治三十八年(1905年)に「私立中学閑谷黌(こう)」の本館として建てられたもので、明治以降もこの地が学校として使用されていました。
この資料館自体も登録有形文化財となっていて、貴重な近代建築となっています。
資料館の前はオトメツバキの花が綺麗に咲いていました。
資料館のある辺りは学坊の跡で、閑谷学校の生徒が暮らしていた寮のあった場所です。
幕末に火事があったため、残念ながらその基壇部分しか残っていません。
ただ、その後上述のようにここに近代的な学校が建つことになり、講堂はそのまま今に残ることになったのです。
資料館の付近は桜が植えられていて、訪れた時はちょうど満開で見頃を迎えていました!
閑谷学校の地図
この後は吉永駅に戻って帰路に就くことに。
まとめ
今回訪れたのは「神根神社」と「閑谷学校」に二ヶ所だけ。
ただ、今回はどちらも桜がとっても見事で本当に胸打たれるものでした!
さらに閑谷学校は建物が貴重なだけでなく、資料も充実していて実に濃厚な時間を過ごすことができました!
終わってみればたった二ヶ所だけだったとは思えないくらい濃厚な旅。
このように少ない箇所をのんびりじっくり見て回るのもまた旅の楽しみ方の一つだと思います。