先日、3月16日に福井県の越前町と南越前町へ行ってきました!
越前町と南越前町は名前が似ていて、しかも海の方の一部で境界が接しているけれど、大部分は間に越前市を挟んでいて基本的には全く別の町。
したがって、今回の旅は越前町を訪れた[前編]と、南越前町を訪れた[後編]に分かれています!
両方ともちょうど半日くらいで終わる行程だったので、一日でこの二ヶ所を巡ることにした、というのが今回の旅!
北陸新幹線が敦賀まで延伸すると福井県の敦賀以北では18きっぷが使えなくなってしまうので、この辺りは今の内に巡ってしまおうという魂胆でもあります!
目次
[前編]福井県越前町へ!
まずは武生駅へ
今回は18きっぷ2回目。湖西線経由で電車を乗り継いでいきます!
大阪駅を6時前に出発する電車から乗り継いでいくと、武生駅に9:19に到着!
越前市の中心となる駅ですね。古代はこの辺りに国府があって、越前国(今の福井県の東半分)の中心だったと言われています。
ただ、武生付近の神社は既に巡ってしまっているので今回はもうちょっと遠くへ行きます。
今回もまたバスに乗るのですが、一時間近くも待ち時間があるのでこの内にちょっと行きたいところへ行っておきました。
平等(たいら)の「劔神社」へ
武生駅から福井鉄道バスのかれい崎行きに乗って、途中の「下河原口」というバス停で下ります。
この辺りは武生から西へちょっと山を越えた小盆地となっており、のどかな田園風景が広がっています。
バス停から西へ歩いていき、「平等」という集落へ。昔ながらの農村といった光景です。
この平等地区の集落の奥に最初の目的地、「劔(つるぎ)神社」が鎮座しています。
後ろの本殿を見てみると、雪国だからか本殿全体が壁ですっぽり覆われています。
御祭神は「武甕槌命(たけみかづちのみこと)」。
元々は「鐘ヶ宮」と呼ばれたようで、泰澄(白山を開いた修験道の僧)が開基し、後に慈覚(天台宗の三代目の座主)が伽藍を建立して別当を置いたと言われています。
最初は「鐘ヶ淵」というところにあったようですが、その後に別当がなくなるとこの地に遷って「劔神社」と名乗ったようです。
劔神社(平等)の地図
織田家ゆかりの神社、織田の「劔神社」へ
平等から北へ2kmほど歩いていくと「織田(おた)」というところがあります。
この織田の中心に「劔(つるぎ)神社」というとっても大きな神社が鎮座しています。
実は今回一番の目玉となる神社がこちらなのです!
赤い立派な鳥居をくぐって境内奥へ。社殿もとても立派ですね!
何を隠そうこの神社は越前国二宮、つまり越前国で二番目に格が高い神社なのです!
ちなみに一番目は敦賀市にある「気比神宮」ですよ。
お参りをしたら後ろの本殿も見ておきましょう!
この本殿は寛永四年(1627年)頃に建てられたもの。福井県指定文化財。
貴重な江戸時代初期の建築で、この地域周辺の神社建築にも影響を与えたといわれています。
御祭神は「素盞嗚大神(すさのおおおかみ)」「気比大神(けひおおかみ)」「忍熊王(おしくまのみこ)」。
伝承では、忍熊王がこの地の賊を平定して、その感謝のために素盞嗚大神を北方の座ヶ岳(くらがたけ)という山に祀ったのが劔神社の始めだと伝えられ、後に現在地に遷ったと言われています。
このように「英雄」として伝えられている「忍熊王」ですが、実は『日本書紀』では忍熊王は神功皇后と対立して反乱を起こす「敵」として描かれているのです!
歴史書では「敵」となっている人物が、中央から離れた地では「英雄」として御祭神にもなっている。これってとても面白いですよね!
一方で、戦国武将・織田信長の先祖はこの神社の神主だったとも言われています。
織田家の名はここの地名に因むもので、織田家は実は尾張でなくここが発祥の地なのです!
これを顕彰して境内には「織田一族発祥地」と刻まれた石碑がドドンと建っていました。
織田家ゆかりの神社ということで、境内には信長たちの顔はめパネルや、漫画家の池上遼一先生による織田信長のイラストもあり、信長推しの神社となっていました!
ただ神社の由緒としては忍熊王が英雄として活躍しているので、こちらの方にも目を向けてほしいなって気持ちも。
劔神社(織田)の地図
劔神社周辺の町並み。織田は劔神社の鳥居町として発展したところで、越前町の中心の一つです。
今もどことなくレトロな雰囲気が漂っていますね!
劔神社から東へ歩いていくと鳥居を模したド派手な建物が!
実はこれは「織田バスターミナルセンター」。
かつては福井鉄道の路線が鯖江駅からここまで伸びていて、終点の「織田駅」がここだったのです。
この路線は残念ながら1973年に廃止になったものの、今も織田地区の玄関口として機能しています。
そしてこの傍らには織田信長の立派な銅像が堂々と建っています!きっと地域の象徴なのでしょう。
お昼ごはん?
織田バスターミナルセンターからバスで武生駅に戻ってきました!
さきほど武生駅での待ち時間で「行きたいところへ行った」と書いたのを覚えていますか?
武生駅の近くに「あめこ」という古い和菓子屋さんがあって、実はここに行っていたのです!
「あめこ」さんの創業は天明二年(1782年)!実に歴史あるお店なんです!
こちらのお店は「あべかわ餅」が非常に有名で、待ち時間の間にこれを購入。
午後には売り切れることもあるという人気のお菓子なので早めに購入したのでした!
織田から戻って武生駅でまた時間があるので、ベンチに腰掛けてこのあべかわ餅をお昼ごはん(?)にしました!
「あめこ」さんのあべかわ餅はきなこにたっぷりの黒蜜がかかったもの!
ただ、買ってから時間がたっていたので中身がデロンデロンになってしまいました。
それでも味は本物!人気あるだけあってとてもおいしかったです!
「あめこ」さんの地図
[後編]福井県南越前町へ!
牧谷の「麻気神社」へ
武生駅から電車で敦賀方面へ二駅戻って南条駅へ!
南越前町の役場はこの駅の近くにあり、この辺りが南越前町の中心となっています。
南条駅から東へ歩いていくと「日野川」という大きな川が流れています。
暖かくなって雪が解けてきているので川の水が増えていますね!
農作業が始まる時期に水量が増えるのは、稲作中心だったころにはきっとありがたいものだったのでしょう。
今回は日野川を渡って向こう側へ!
川を渡って北東方向へ進み「牧谷(まきだに)」というところへやってきました。
集落の背後に顔を出している山はいかにも雪山といった感じ。
この牧谷の集落の端に三つ目の目的地である「麻気(まけ)神社」が鎮座しています!
境内には鳥居が二基。そしてその奥に社殿が建っています。
拝殿は幕で覆われていました。これは雪から社殿を守るためのもので、雪国では冬の間これが取り付けられる神社が多くあるのです。
拝殿の後ろにある本殿も、身舎(もや=本殿の本体部分)の外側に壁が設けられていました。
これもまた雪国仕様の設備と言えることでしょう。
雪の激しさを物語るように、境内奥の本殿付近は雪がたくさん残っていました!
麻気神社の御祭神は物部氏の祖である「奇玉饒速日命(くしたまにぎはやひのみこと)」。
伝承では、継体天皇の皇女であるという麻績娘女が病床に臥した際、奇玉饒速日命に祈願したところ病が癒えたので社殿を造営して祀ったと伝えられています。
この「麻績娘女」というのは『日本書紀』の記述と照らし合わせると、恐らく皇女でなく后の「麻績娘子」のことなのでしょう。
ここで物部氏の祖が出てくるのはちょっと不思議。この地に物部氏がいたのでしょうか?
麻気神社の地図
堂宮の「鵜甘神社」へ
牧谷からちょっとした丘を越えて南へと歩いていきます。
この辺りは上野という集落。
上野を越えて堂宮(どうみや)というところへ。
上野と比べれば小さな集落ですが、その中心にはひときわ目立つ鳥居が建っています。
この鳥居の先に四つ目の目的地、「鵜甘(うかん)神社」が鎮座しています!
鳥居をくぐって道をまっすぐ進んでいくと境内が見えてきました。
その入口には大きな杉!とても立派で貫禄があります!
境内に入って参拝しましょう。
こちらの拝殿は幕でなく、樹脂材で覆われています。こちらは暖かくなっても取り外すものではなさそうで、半永久的に固定しているのでしょう。
本殿は先程の麻気神社と同様、身舎の外側を壁ですっぽり覆っています。
こちらの神社の御祭神は「鵜草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)」。神武天皇の父にあたる神様です。
恐らく「鵜甘」の社名からの連想で祀っているものと思われ、由緒もはっきりしません。
鵜甘神社の地図
晩ごはん&帰路
これで今回の目的地は全ておしまい!
鵜甘神社から戻る途中、時間がたっぷりあったので高速道路の南条サービスエリアへ立ち寄りました。
ここは道の駅にも隣接していて、外からでも利用することができます。
ありがたいですね!
レストランもあるので食事も可能です。
まだ16時過ぎでしたが、お昼ごはんが少なかったので早めに晩ごはんにしちゃいましょう!
ここでは越前市のご当地B級グルメ「ボルガライス」をいただきました!
ボルガライスはオムライスの上にトンカツが乗っていて、デミグラスソースをかけて食べるというもの。
初めて食べる組み合わせで、どんなものかと思っていましたが結構おいしい!
南条サービスエリア(上り)の地図
南条駅からは再び電車に乗って帰ります。
電車の本数が少ないので時間には気を付けましょう!
敦賀駅で新快速に乗ってしまえばそのまま大阪まで直通なので楽々です!
まとめ
上にも書いたように敦賀から北側は北陸新幹線の延伸で18きっぷが使えなくなるので、今の内に巡ってしまおうと考えています。
今回はその一環で、越前国二宮という高い格の劔神社を訪れるのが一番の目的でした。
やはり二宮だけあって立派な神社で、織田信長ゆかりの神社でもあるということで歴史を感じました。
他の神社も雪への対策の様子を見ることができ、雪国らしさを感じると共に雪の中で暮らす大変さを思い知る旅ともなりました。
いつかは完全装備した上で、あえて冬場の雪の中を巡ってみるのも経験として良いかもしれないですね!